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富士見日記

分水の森 尾崎が住んだ「分水荘」はこの岩の向こうにあった。
                      (99年12月撮影)

 


 尾崎 栄子・注記

 遺品の中から敗戦一年後に安住の地として移り住んだ富士見での最初の日記を見つけた。それはこれから自分が暮らす高原の自然を一から知ろうとする観察日記であった、傷ついた心は遠い山河の向こうに押しやり、ただひたすら自然の中に生きようとしているように思われた。しかし妻実子の思いきった激励の手紙、日記の書かれていなかった日々を推察するとまだ傷心の途上であったようだ。


 編 者・注記

 喜八は娘栄子の導きによって信州富士見を復活の地に選んだ。散文集「高原暦日・到 着」に信州富士見駅に降り立った喜八の復活への希望が告白のやうに書かれている。

ああ、森よ、お前のその新緑のふところ静かに敗残と悔悟の私を抱き取ってくれ!おんみ八ガ岳のその広大な裾野よ、釜無の山々と谷々と富士見高原のすべての森よ、私に恵んで復活にまで救ってくれ!そして、ああ、かなた銀色にかすむ道の奥に、わがなつかしい蓼科山が、幾年失踪の子を持つ母のように爪立っている……」

 この日記と併せて「到 着」 「雲に寄せることづて」もお読みください。

 


目 次

八月
九月

十月
十二月

編集付記  旧かなづかいのままです。

       


八月

 

八月十五日
 今日から気象観測を始める。七時、十三時、(六時)、二一時。

○ 巻雲 
 七時。気温十六度四分、湿度八五%、風無く雲量二、縮んだ繊維状又は皺状の巻雲が入 山(西南西)のうしろから放射状に出ていゐばかり。実に美しく、撮影して置きたい程だった。空気は透明で富士、鳳凰(地蔵岳)、甲斐駒、鋸、八ヶ岳連峰、釜無、入笠すべてほとんど鮮明に見えた。草上に露がどっさり。ハネナガササキリ(?)ヱンマコホロギ、ツツレサセコホロギ等が畑や草原で鳴いてゐる。燕一羽ピチーピチーと鳴きながら飛ぶのを見た。

 十時四五分頃の新宿行きで石黒夫人と晶子さん帰京、その荷物を運びながら停車場まで行ったが、日射は強く暑かった。巻雲は比時も相変わらず見事、然し雲量に増減はない。いくらか北西の方へなびいてゐるかと思はれた。

○ ウスバキトンボ
  停車場付近にウスバキトンボ沢山。

 十三時。気温二十六度七分、湿度四八%、風少し東南東の微風。朝と同様、繊維状と釣針形の美しい巻雲、量は二ぐらゐ。富士の山体右側に積雲状の層雲が湧き、八ヶ岳赤岳あたりの上空に片積雲三ッぐらゐ漂っているのを見る。

○ ススキ
 ススキは穂を出して赤褐色に光ってゐる。南瓜の実が暑熱と日射の強いため畑で萎えてゐる。エゾゼミ、アブラ蝉林に鳴き、

○ アキアカネ
 真紅のアキアカネが池の水草の上に見出され、山キテフ一羽を草上に見うけた。

 十八時。実に稀に見る清明な美しい夏の夕暮れ。もう露がとりつゐている。

○ 美しい夕日の時
 気温二四度、湿度七十%、風無く雲無くたヾ見る端麗な夕暮れの山々谷々。太陽は入笠の右の山の背後に沈んだばかり。富士、鳳凰、駒、八ヶ岳、立科岳等すべて淡い紅紫色に燃え、殊に比處からは見えない落日に未だ正面から照らされゐる八ヶ岳立科連峰は壮麗である。昼間の暑熱から開放された山林と草原は涼しい緑に映え、

○ カンタン
 バッタ、コホロギの声にまじって十二匹のカンタンの清高なトレモロ。林の方で時々アカゲラ、コゲラの「キョッ キョッ キョッ」や「ジー」。それに棒杭に繋がれている山羊の声。池のあたりの薮でしきりに「キイ キイ」といふモズの甲高い声。

○ ヒヨドリ
 ヒヨドリの声も昨日からきこえ始めた。裾野から釜無の谷へ帰るカラスが三羽、藤紫色の透明な空高く飛んで行った。クロツグミはもう歌を歌はないが、尚比の森に棲んでゐて十羽ぐらゐは見うけられる。時々その美しい声をきいたり姿を見たりする。それが今も地鳴きをきかせてゐる。

○ キビタキ
 朝と夕方近くには一羽のキビタキも現れる。比の六月五、六羽ゐてあんなに毎日歌ってゐたのが、今は羽換をすませて地味な羽色になり「ピーヨ ピーヨ クルッ クルッ クルッ」と静かな林の中を鳴きながらさまよってゐる。どうも一羽しかゐないらしい。

○ ワレモコウ
 今日ワレモコウの紫褐色の花を見た。ユウスゲ。

二一時 十九度 七七% 快晴、星と、おそく十八日ぐらゐの月。
   露しとゞ。コホロギにカンタン一二匹の歌。頭上の琴 鷲 白鳥。

 


 

八月十六日

七時

 気温十六度七分、湿度八七%、風は西の微風、雲一片もない快晴。入笠から富士までの鮮明な視程。但し昨日より心持ちかすんでゐるやうな気がする。露が激しい。観測地である裏の道路への往復に足はびっしょりになる。然し日当たりではどんどん蒸発して行くと見えて乾いた所もある。

○ ホホジロの歌
 ホヽジロが方々で歌ってゐる。林のへり、草原の樹木の枝頭、又は畑の土の上で餌をあさりながら。ヱンマコホロギ、ツヾレサセ,バッタ等の歌相変らず。

 ヒガラの澄んだ「チン チン」、シジュウカラの「ツーチョ シャガシャガ」。池の上ではオホルリボシヤンマが未だ姿を見せ、ノシナトンボも帯のある羽根をふるはせてゐる。月齢十八日ぐらゐの月が薄白く入笠の右手の尾根に沈まうとしてゐる。

○ 颱風警告 
  十三日正午の中央気象台発表によると、
 「十一日気圧九六十ミリバール(七二十ミリ)の大台風マリアナ群島東方海上に発生、目下時速十六キロで北西に進行中、大体二十日頃西日本へ上陸する可能性がある」さうだ。被害の少なからんことを祈る。

○ キビタキの訂正
 今日も続いてゐるこんな快晴は十二日から引き続いた天気である。五日間晴天続きという事になる。正面の森の木立ちの中で「ピー ピー ピー クルクル…クル…」と鳴く鳥を今日双眼鏡でよく見たら羽汚灰緑色どうやらキビタキの雌らしく思はれた。雄の羽換をすませたのであるまい。午後三時の今も来て鳴いてゐる。林の中の余り明るくない所を好きな鳥だ。

○ ツリフネサウ
 正午に少し前森中の小湧水地の少し下のところで、ツリフネサウの咲いてゐるのを発見、

○ ミゾホヽヅキ
 又その傍らに玄参(ごまのは)科のミゾホヽヅキ可憐な淡黄色の花を初めて見た。其所にはノアザミが花を開いていゐたが先づ一羽のクモガタヘウモンが来て長い間蜜を吸ひ、それが去ると一羽のスヂボソヤマキテウが来て入れ代って蜜を吸ってゐた。比のスヂボソは、やがて隣のヒヨドリバナへ行ったが気に入らぬとみえて順々にクルマバナ カウゾリナ サハヒヨドリと一つ一つ花を訪問したが、又戻って来てアザミへとまり、ゆっくりと其花にとヾまってゐた。入笠山を背景にそのあたりの白樺の白い幹に輝くやうな草原の緑。暑い日光。つめたい水の中には真紅の糸のやうな藻が一杯生えてゐた。

○ トビ

 時折一羽の鳶が六 、七百米の高空を悠々と滑翔し、時々翼を絞って急降下し、又吹流れるやうに滑翔したり、木の葉返しを演じたりしながら、比の快晴の正午の空中を自由に舞台のやうに舞ってゐた。その内裾野の一小地点に何を見つけたか、急に一掴みの羽毛のように翼をしぼり身体をほそめると、つぶてのやうに一気に急角度の落下をして、向うの落葉松林の陰へかくれてしまった。

十三時、気温二七度六分、湿度五三%、風向南、風力一
 殆ど快晴。たゞ富士の左胴体、鳳凰の上、鋸のうしろ、八ヶ岳から立科までの連山の上等に片積雲を認めるばかり。光三夫婦と隣家の名取さんも「今日は一番暑い」と言って驚いてゐる。東京市内は勿論三十度を越えたらしいと思ふ。
 バッタを採って調べて放してやる。即ち、ダイメウバタ、クルマバッタモドキの何れも脱皮回数の多数によって大小があるらしい。八ヶ岳山麓に多いとあって、又、隣家の渡辺氏の令息も採集したといふミヤマフキバッタ(フキを食う由)というのは未だ発見するに至らなかった。

十四時。気温二八度六分、 今日の最高。
 千葉の三里塚へ行ってゐる実子は、今日あたりリヤカーを曳いて小包か鉄道小荷物を出しに行ってゐる事だらう。20日頃帰って来るだらうと思ふ。暑いのに毎日忙しく苦労させてゐる。

 十八時、二四度.五分、七十%無風快晴、穏かな夕暮。昨夕よりもいくらか霞んで富士がぼんやり見える。甲府盆地方面は淡桃色の濛気。鳳凰山頂三層の笠雲。蝙蝠の声がふって来た。
 富士見駅前の広場へ今夜が最後の盆踊を見に行く。若い男女約五十人。八時半頃から九時頃まで見て帰る。比頃金星、木星、スピカの何れも入笠の山かげに沈み、天頂には琴、鷲、白鳥の星座と天川。八ヶ岳かすかに見え、釜無の谷に霧漠々。

 比付近の盆の迎え火と送り火の子供の唱えごと

 ボンサマボンサマコノアカリーデ オーイデオイデ    繰返す

  ボンサマボンサマコノアカリーデ オカヘリオカーヘリ  繰返す

 


八月十七日

 

 七時。十八度五分、八八%。無風、雲量一、片層雲。釜無山脈山頂付近に連鎖状の片層雲を見るのみ。視程は稍ぼんやり。富 士全く見えず。八ヶ岳は薄く輪郭だけを見る。草上に露。

○ 朝の花
 ホヽジロの歌、露に濡れて咲く花にアザミ タチフウロ ツルフヂバカマ、 オミナヘシ 、オトコベシ 、ツユクサ、 イヌゴマ、 クルマバナ、ハクカ 、ユウスゲ 、コマツナギ 、ゲンノシヤウコ、コウゾリナ 、ヒメジオン 、ユウガギク等。

十三時。二十六度八分、六三%。風北西、風力一、雲量六、積雲
 比積雲はすべて鳳凰、八ヶ岳の山頂を被ふもの、一帯に銀青色のヘイズがあり、北西と東方に数個の玄雲を見る。

 午後立沢行。(光三、栄子と一緒)小池光重氏方へ。同氏は八ヶ岳高原農業研究所御射山分所の理事にて立沢の篤農。同氏方で分所の小野、内藤両君と一緒になる。立沢の本村の大山祇神社の祭礼を見に行く。立沢は立場川の谷側に展開した戸数三百余の美しく富裕な村である。神社では盛んな素人角力が行なわれてゐた。

○ イチビ
 比辺ではイチビを麻と一緒に作ってゐる。馬具の綱等に利用する由。但し小池氏は比植物の名前を知ってゐなかった。今は丁度花の咲く時で、丈の高い、大きな葉が緑のの花の黄色いイチビ(キリアサ)が方々の農家に見られた。一軒真竹と女竹とを栽植してゐる家があった。富士見付近では竹は出来ぬが、比辺では多少出来ると見える。
 小池氏方では御馳走になり夜道を帰る。

二一時、二二度、七八%、無風、雲量九、層積雲。

 


八月十八日

 

 七時、二十度、八八%、雲量七、余り濃くない積雲が南から。上空には薄い、力のない巻雲の帯と高層状破片、視程稍不良。山は釜無の中腹以外がぼんやり見えるきり。露。黒鶫は未だゐる。

○ ススキ開花 花カケ
  ススキが花を開いた。

○ エゾゼミの朝鳴き はじめ時刻
 八時四七分エゾゼミ鳴き初める。昨日は八時四五分。

 十時頃から正午過ぎまで駅前郵便局へ行った序でに木ノ間、若宮、原ノ茶屋を一巡散歩。(詳細野帳にあり)

 十三時。気温二十六度六分。湿度六七% 殆ど風無。雲量四、積雲(大小塊)雲向南西緩。空の色碧色。 

 午後五時半頃から驟雨性の雨となり六時半止む。軽微な不連続線上の降雨ではないと思ふ。

十八時 二四度五分、七九%、風無く、雲量(K.N.)9.W緩,微雨。

二一時。二二度五分、八三%、風無く、雲量十

 大いなる大風、本邦南西部に接近の予報もあるも、当地にては未だそれらしき影響も予兆も感ぜられず。

○ 台 風 

 米第二十航空隊第七気象観測所(東京)は十六日九州 四国及び本州全部に対して二四時間及び三六時間以内に強烈な台風の襲来を予想されるとの台風警報を発した。日本南部に台風の襲来時の東京 横浜での風速は三十ノットと予想される。第九偵察隊の写真撮影は台風速度及び進路を偵察、適時に第七気象観測所へ無線報告をする事になってゐる。十七日午前三時台風の位置は北緯三十度六分、東経一三六度五分、と予想される。(十七日東京朝日)

○ 気象同好会
 気象同好会が生まれ、十五時迄の会員申込者約四百五十名「上は理学博士から下は国民学校二年生まで、学者、サラリーマン、詩人、女学生とあらゆる階層の人を網羅してゐる。変わり種では詩人 尾崎 喜八氏が山形から駆けつけるほか‥‥」(十七日東京朝日)
同会長は阿部 正直伯爵。
「山形から云々」は何の間違いやら。しかも自分は比会が之ほど具体的に計画されてゐるとは全く知らなかったのである。

 


 

八月十九日

(午前九時半エゾゼミ鳴き出す。今日はいつもより約四十分おそい。)
七時二十度八分、八八%、風向北北東、一、雲量九、駒、八、鋸山頂ぼんやり。草上に露。

 十時、Veilを裂いたやうな巻雲が数本南西から流れ出して天心を横断してゐる。別に仰角約二五度のところを南から東へかけて薄い巻層雲(幕状)が横たはってゐる。山々はすべて漠々とした層雲又は層積雲に包まれ、積雲も南↓北へ飛んでゐる。地上風向南、速二程度、空は濁った碧色、気温二四度四分。湿度七十%。松籟と樹葉の摩擦音。どうやら台風の影響圏内に入った感じだ。巻層雲は次々に天心まで拡大する模様である。

 正午。南々東の風。風力二及至三。雲量九、南と北に青空が少し透いて見える。薄い巻層雲。但し太陽は雲をすかして見え、地上に薄い影もうつる。駒ヶ岳、立科、北アルプス方面、それぞれ乳白色の玄雲。八ヶ岳は権現以北層積雲を頂き、釜無入笠も山頂から稍下を一直線の雲底を持つSK(層積雲)に包まれてゐる。南と北との青空にはそれぞれ巻雲の縞模様が眺められる。エゾゼミ、アブラゼミ、ホヽジロ、カンタン等の声もいつもと変わりなし。太陽は暈(内暈)を現わしてゐる。十一時頃栄子と二人で畑のトマトの支柱の補強をした。風に備へる為。ヤナギタンポポ、ギボウシとを花瓶のために取って帰る。

 十三時、気温二五度五分、湿度六六%、風南南東、二↓三、雲量十、但し薄いCS(巻層雲)とFK。太陽はCSを透かして輝き、薄色の内暈。九六十mbの台風が今夜半島原半島を襲うべしとの米軍豫報あり。

○ クルミ採り
 名取の和男、八平二少年が竹ビクを下げて林内の落クルミを拾いに行くのでついて行く。鬼グルミの樹は近い所に三本ある。丸い褐色の李形の身が樹下に落ちてゐるのを拾ふのだが慣れない眼には中々見つからぬ。別かれてゐる二少年はぢきに発見する。これを取って地下三十センチ位の深さへ二十日間位埋めて置くと果肉が腐る。さうしたら種子をとってよく洗ひ乾燥するのだそうだ。八平君が其間に赤蝮を見つけて捕まへ後肢を二本揃へて頭部を木の幹へ打ちつけ殺し、後肢の趾の所から前肢の腋の下まで皮を逆剥ぎにしてゐる。それを折った小枝の先へ結びつけて、其の小枝を林の中の明るい地面へ挿込む。

○ 赤 蝮
 地スガリ(バンニンキチとも言ってゐるそうだ)が此の赤肌の蛇を見つけて集まって来たら、今度は此の肉を細かく切って白い綿を結びつけ、同じ場所で地スガリに之を結わえる。蜂はそれをつかんで巣に運ぶ。子供は此の白い綿を目標に後をつけて地スガリの穴を発見する。そして其穴の中に幼虫が出来た頃を見計らって幼虫を採集し、食用にするのだそうである。彼らは三匹の赤蝮を発見して、銘々選んだ場所へ仕掛けた。クルミは五十あまり拾った。
 それから農場の傍らの林の方へ散歩に行った。西の谷を二つ越えた松林。其の二つ目の谷は美しい花の原で、一寸公園のやうな感じだった。低くなった方は少しばかり開墾が進み、ソバ等が作ってあった。カハラヒワが二羽程。実になった大根の畑の大根の茎へとまって盛んに種子を食ってゐた。

○ ノスリ?
 此の帰、途中で一羽のノスリらしい鳥の飛廻り鳴いてゐるのを目撃した。色は黄味がかって「ピー」といふ声で鳴いてゐた。

○クロツグミ 
 栄子はクロツグミの歌を農場付近で聴いたといふ。

十八時、気温二三度五分、湿度七九%。風無し。C(巻雲)又はCS(巻層雲)の薄きもの入笠を輻射点とし、権現をシューレン点とし全天を広々と流れて横断。但し、鳳凰、駒、八すべて見え、露は無い。

○ ヨタカ
 六時五五分 ヨタカ頻りに鳴く。

二一時、気温二一度、湿度八二%。風無し、薄き雲流れをるものの如きも星はすべて見え、時々光輝明減す。露。
 十九時の颱風位置、北緯三一度、東経一二九度四十分、中心気圧九六五mb、時速十五H

 


八月二十日日

 7時、気温二十度四分、、湿度八二%、風南、風力一、雲量十、薄曇。(釣針状、ヴェイル状、波状)風向北北西、中には之と直交するものもあり。空一帯に白濁を呈し、積雲少々浮かぶ。谷間より層雲湧上り、次第にK(積雲)又はSK(層積雲)となる。富士を除いて他の山々は見える。露多量。
 九時三十分エゾゼミ鳴出す。気温二三度、湿度七九%。薄曇の林中でヒメシロテフ一羽採集。比地では初めて見た。高原には多かった。季節はやはり今頃だったと思ふ。立科登山をした夏だ。
 実子夕刻十二日ぶりで三里塚から帰って来る。

 


 

八月二一日

 午前七時。層雲の量山々はおほむね雲に包まれ、釜無山も一五00米以上は雲の中だが視程はそれほど悪くない。北東五キロを隔てた中新田東方の開墾耕地の緑色が鮮明に見える位だ。今朝は鶫がこのあたりに沢山来て方々で鳴いてゐる。どういふ訳か分からないが珍しいことだ。サンセウクヒが一羽「ヒリリン、ヒリリン」と鳴いて飛ぶのを見る。これも珍しい。ツゞレサセコホロギとエンマコホロギの声がだいぶ賑やかになって来た。然し又開墾畑にも草原にも脱皮継続中の若いのがうんとゐる。これらのすべて成虫になったら大した合唱だらう。

○ エゾゼミの鳴き初めの時刻於ける気温と湿度

 九時十分。例によってエゾゼミが一羽鳴き初め、つゞいて別の一羽が鳴き初めた。すると忽ちアブラゼミのもっと沢山の合唱が初まって二十分間ばかり続いた。比のエゾゼミの 鳴き出す朝の時刻は、どうも其の時の気温と関係があるらしい事に気がついた。八月十七日と十八日には其時の気温がとってなくて残念だが時刻は八時四十五分、昨日は九時半で気温二三度、湿度七九。今日は気温二三・五で湿度は同じく七九。事によると湿度も関係してゐるかも知れないと思ふ。八月十七・十八日の八時四十分頃も恐らく気温二三度位あった筈である。(温度、湿度、天気図表、参照)エゾゼミの朝の鳴き初めの時刻に於ける気温と湿度との観測を続けて何等かの関係があるものなのか突きとめて見ようと思ふ。

○ キセキレイ
 カラスは依然として集まってゐるらしい。之を書いてゐるとキセキレイの声がきこえた。

 

 吉祥寺と杉並へ来てゐて原稿依頼

● 「少国民」十月創刊号。巻頭の詩 十行位。(日本経国社)
● 国民科学協会 随筆  五、六枚
● 「コドモヱバナシ」 講談社 執筆否問合せ
● 共同通信特信文化部 随筆三枚
● 「地方風物」更科 源蔵君編集 随筆か翻訳
● 三笠書店 ヘッセ全集一冊分「母に帰る」加筆の件。

○ クルミ 
  午後クルミの実を十四ヶ拾って庭の片隅へ埋めた。廿日間そのまゝ。

 隣家渡辺さんから「科学朝日」七月号を拝借する。
 同誌「七月の星座」によると金星・火星は大体獅子座に。木星は乙女座にある。いづれも東へ巡行してゐる。土星は光度0.四度,双子座にあって八月初めには日の出前五度の高さに現れるといふ。(科学朝日)
 東京上野科学博物館内に天気相談所主任伊 坂達孝技官。毎週土曜午後質問指導にあたる。(同前)

「科学朝日」八月号から
「八月十五日 夜明四時二六分 日出  四時五九分
       日入十八時三0分 日暮十九時 八分
 八月三一日 夜明 四時四0分  日出 五時一三分
       日入一八時一一分  日暮一八時四二分

節気 處暑 二四日(太陽黄経 一五0度)
   暑さの終り
 二日 下弦  月出 二二時五九分
        月入 一二時二四分
 二七日  朔  月出  五時 五分
        月入 一八時五0分

金星光度  月初 負三・七度
      月半 負三・八度
      月末 負三・九度
視直径も十八秒から二一秒へと増す。

 九月八日 東方最大離隔、白昼の空でも見られるかも知れぬ。高度月初二四度月末二0度、月末乙女座スピーカを過って東一度の辺で九月に入る。月末三十日金星と三日月合となる。十月天秤座へ進入する。
火星 光度一・八度。月末スピカの西北八度、二九日三日月と合。高さ約二0度。
 木星 光度斬減。月末一・三度となる。月末金星とスピカを加へて低い夕空を賑わす。」

 


 

八月二二日

○ カラ類の巡回
 朝七時の観測の帰りに、林の中でドュラマンの所謂「カラ類の巡羅」に出合ふ。四十雀と柄長とを主としてそれに少数の日雀をまじへた四十羽ぐらゐの群れだ。四十雀の地鳴(ツーツー、ツーチョ)と警戒音(ガシャ ガシャ)、柄長の低いトレモロ(トゥリリリリ)、白雀の「チイ、チイ」が実に賑やかである。

○ カラ類と一緒にゐるコゲラ
 それに交って二羽のコゲラも樹幹をコツコツ叩いて調べてゐる。どうも比の数量の観察によると比のカラ類の仲間のゐる所にはいつも揃って一、二羽のコゲラを見るやうだが、事によったら彼等も亦一緒になって巡羅をしてゐるのではないかと思ふ。それとも彼等の領分へカラ類の進入して来たのを見て興奮して活動を始めるのかとも思ふ。

○ サンセウクヒ
 今朝は比の連中の集まってゐる林の上の方でサンセウクヒが一羽一緒になってゐるのを見たり其声を聴いたりした。之も仲間の一員になってゐるのかと思ふが、比方は余り確からしさが無い。少なくとも余り遠くへの巡回へは着いていかないだらうと思はれる。

○ カラス
 今朝もカラスが集まって付近で盛んに鳴いてゐる。比原因らしいものは未だつきとめるに至っていない。

○ エゾゼミ
 エゾゼミ九時二五分から鳴きはじめる。気温二三度八分、湿度七九。曇。五分間ばかりで鳴き止む。十時半再び始め一時間程つゞく。(気温二四度、湿度七九。日光)

 七時から微雨降り初め、九時五分止む。

○ サヽクレヒトヨダケ試食
昨日は堆肥の馬糞に生えるサゝクレヒトヨダケといふか白色小型の茸を熱湯で煮てからバタいためにし醤油をかけて食うてみた。歯ぎれがよくまづくなかった。比茸は最近栄子の採って持って来た時は蓋のすっかり開き、表面もカンも黒く濡れて溶けかゝってゐるのだ。川村清一博士の「日本菌類図説」で調べてみて、どうもサイギヤウガサといふ菌の腐かれかけたもののやうに思ってゐた。ところが昨日午前エドワード・ステップのNature in the Gordenの下巻を見てゐると堆肥場にある前述の菌の菌蕾とよく似たものゝ写真が出ている。Lauryer's-wig washroomとxわのださうで、食用に供するともある。それでもう一度念の為「日本菌類図説」を一枚一枚探ってゆくと淡紫褐色に著彩されたサゝクレヒトヨダケといふのがさうらしく解説を読むと白色の物を著者は友人の外国人から教へられ食ったと書いてあった。それで上述のやうに自分も試食したが、格別毒はないらしく、腹はどこもなんともない。たヾ余り充実してゐないし大きくもないので、食べでが無いのが欠点と云えば云える。有毒でないと極まれば熱湯でうでる(アンリ・ファーヴルは熱湯で処理すればどんな菌でも中毒はないと言ってゐる)にも及ぶまい。第一それでないと風味がわからない。

 


 

八月二三日

林-荒地-畑-切明-湧水地と歩いて見かけた時の花。

○ 近隣の花
キンミズヒコ(満開近し)ノコギリソウ(終り近し)ヌスビトハギ(盛)ユウガギク、オトギリソウ(終わり近く、光沢のある紫褐色の実美し)ホタルブクロ(終り近し)アキノゲシ、ミヤマママコナ、ダイコンサウ(終近し)カワラナデシコ、ユウスゲ、ゲンノショウコ、ナンバンハコベ、ヒメトラノヲ(終り近し)イヌゴマ(終迫)ツユクサ、ヒメジヨン(終り近)アレチノギク、キヲン(初期)タチフウロ、ヤマハハコ、ヒヨドリバナ、サハヒヨドリ、ヤマラッキョウ、ヒルガホ、ヘクソカヅラ、ギバウシ、ツリガネニンジン、ワレモコウ、ススキ、コケオトギリ、ヤマジソ、ヤナギタンポポ、ヤマアザミ、ムラサキツメクサ、(終近)カウゾリナ、クルマバナ(終り近)、ハクカ、ツルフヂバカマ、キキャウ、ツリフネサウ、ミゾホホヅキ、フシグロセンノウ、アカバナ。以上約四十五種

○ エゾゼミ
 今日エゾゼミの鳴き初めは十時半(気温二三度。湿度七三、太陽は暑く一時間以上前から照ってゐる)

 庭の中を多数のウスバキトンボが飛び\こんな事は今日初めてだ\キリギリスが鳴いてゐる。(后午)雲は高くて日光が暑い、風は然し涼しく吹いて松籟と葉ずれの音、(気温二五度七)エゾゼミはもう鳴いていない(后午)

○ 燕
 午後一時半と四時頃、燕を見る。第一回二、三羽、第二回六羽。後の六羽は雨近き空を東に飛んでゐった。第一回のは鳴きながら空を舞ってゐた。

○ カナカナ
 午後三時五十分裏の切明けの横の赤松林で一羽のカナカナが鳴いたが直ぐに鳴きやんだ。此處へきてからはっきり聴いたのは之が初めてヾある。八月三日頃遠くで一羽なくのを聴いていたかと思ったが、当時は耳のせいではないかと疑った。武蔵野では七月にはもう鳴いてゐる。こヽの七月を知らないので分からないが、どうも少ないらしい。

 今朝七時の観測では気温十八度七分、湿度八八、草上に露があり、東の風一ぐらが吹いて雲量は七か八だったが、天の北半分には西へ緩やかに動く多少波状を呈したKcが横たはり短い縮れた毛のやふなCとアバタ模様のかなり広範囲のCKとが西方に輻射点をもってひろがり、山はすべてS又はSKをまとって、何となく不安な空模様だった。折柄通りかヽった名取さんに今日の天気を訊くと
「どうもえらいはつきりしませんが夕立もくるでせう」と言った。
 午後一時になると釜無入笠の上に大きな積乱雲が立ってそれが忽ち仰角八十度位に伸び、東と北々西にも同じ位の立雲。東から火焔状のCが流れ出し、Fkは西に動き、青空に費の暈が現れて、不気味な雲景を呈した。
 やがて一時半頃東北東に遠い雷五回を聴いて二時二四分微雨があったが、いくばくもなくやんだ。
 しかし三時五十九分甲斐駒の上のあたりにKNが漠々と拡がって雷鳴の第一声をきかせ、続いて雷光と雷鳴(光と音の間隔二五秒)、実にもう一度雷鳴があったのが四時五分雨乞山嶽が雨足にけぶり、それから五十分後釜無川右岸に見える赤ナギもぼんやりしたかと思ふと雨が降り初めて、そのまま遂に今に至るまで降り続いてゐる。(午後九時半)
 名取さんの豫報が適中し、自分の今朝の豫感も当たったやうだ。それに今朝は釜無山脈の中腹に帯のやうに出来た山カツラ(層雲)が、雲底の高さは変わらずに、上へ上へと盛り上って山頂をかくし、やがて連続した積雲になる過程も初めて見た。
 やはり不連続線の為す業のやうに思はれる。
 此處でも亦東風は雨をもたらすのではないだらうか。

 

 八月の太陽の位置  獅子座西半
       日の出入方位角
       月初めは二十四度 北
       月末は十八度  北
       南中高度七二度半が六八度に下がる。

 


 

八月二四日

○ 霧
 今朝はこの富士見へ来て初めての霧を体験した。午前六時には五0米以上前方は見えない程の濃霧(階級六)で漠々とした白い霧粒の流れの濃淡の渦巻きを作って東から西へと無限無終の感じで移動して行った。一昨年のちゃうど今頃、北海道行きの途中、東北線の尻内から古間木のあたりで早朝やはりかういふ霧を見たことを思い出す。霧が濃くなると右手の太平洋の方から朝日が洩れ、高原のやうな感じのする寂しい風景の前景に柏だのハンノキだの林が続き、線路のわきの湿地にミゾハギがびっしより濡れて咲いてゐたりするのが、旅の朝の心に嬉しいやうな悲しいやうな感銘を與へたものだった。
 午前七時になると霧は大分うすれ五00米位まで見えるやうになり、ところゞ青空も現れ、やがて陽も射すようになり、遂にはすっかり晴れ上った。今朝早朝の冷たく沈殿してゐた空気の上へ、甲府盆地の方から比較的温暖な南東気流が流れて来て混合霧を発生させたのではあるまいか。太陽が八ヶ岳から顔を出す六時頃が一番濃厚な霧だった。太陽も手伝つたのであらう。

○ サンセウクヒ エゾゼミ
 午前八時半サンセウクヒが鳴きながら飛ぶのを見た。エゾゼミ今朝も十時に鳴き出す。気温二二度、湿度七八、陽光。

○ ウスバキトンボ
 ウスバキトンボが沢山庭先を飛んでゐた。

 


八月二五日

 今日は午前五時から午後十時まで一時間毎の気温、湿度天気、風向をとってみた。午後から天気が悪変し、正午過ぎ突然風が南東から西へ変ってそれが約二時間ばかり続いたので気温がぐっと下がった為、曲線が多少不自然になったが大躰の様子が数量的に分かった気がする。
 此の西の風が冬季には非常に卓越するといふから、此處での今年の冬の経験はちと恐ろしくもあれば面白さうでもある。
 早朝森りでカケス三、四羽を見、クロツグミを見た。カケスは普通の嗄れ声のほかに「ミーヤ、ミーヤ」といふやうな小猫に似た声も出す。
 例のヒタキも庭へ来た。サンセウクヒも鳴きながら飛んでゐるのを数体目撃した。トビの空を舞ってゐるのも見た。
 松虫草がぽつぽつ先はじめてゐる。
 朝は相変わらず日柄と頬白の歌だ。
 今の草刈りで、一日一人前の刈量は六十貫、馬一頭に六把積み、それが二回十二把だそうだ。一把五貫目に当たる。刈場はめいめい定まってゐる。(隣家名取久氏の話)

 気象同好会の伊坂達孝氏から来信、会の評議員になる事を頼まれ、第一回の総会に雲の話をしてくれと頼まれた。会則も送って来た。賛助会員年額百円。普通会員月額二円。賛助会員になる事とし、丁度蝋人形社からの小為替(稿料百円)をそれに宛てる事にした。

下諏訪発省営バス丸子行き時間表、
      午前八時、午後二時四十分
             (栄子調査)

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九月

 

九月五日

 今朝はかなりの北西の風に明けた。諏訪湖や霧ヶ峰の方角から押し寄せて来て八ヶ岳の裾野一体に吹きひろがり、地理学者の所謂富士見狭隘へ吹きこむ北の季節風の先駆だ。午前七時の観測の時には未だ鳳凰山八ヶ嶽連峯にねばりついてゐた鉛色の雲が、八時すぎ農場へ牛乳をとりに行く頃にはもうすっかり消えて、今では一点の雲もないきっぱりした秋時の空ときらきらする太陽の光だ。そして此の山荘をかこむ森林の樹々の梢を絶えず吹きならす爽やかな風の響き。赤松や落葉松の類の針葉樹では逞しい深みのある―ちゃうど海岸の眞砂の上を引く時の波のやうな―淙々といふ響、白樺では乾いたこまかいサラサラいふ音。幅びろで厚みがあって、或る一定の間隔をおいて起伏がある返す此の松籟は聴けども飽きない。ちゃうどこれを書いてゐる時、眼の前の赤松と白樺へ夫婦のアカゲラが飛んで来て、しばらくこつこつと幹を叩いて検診をしてゐたが、やがて雌を先に「キェッ、キェッ」と鳴きながら飛び去った。もう夏の衣替へを終ったらしく、背中と尾の黒白だんだらや、後頭部と臀や股のあたりの羽毛の朱赤色がちらちらと木の間を洩れる日光をうけては殊に鮮明で見事だった。雌には此の後頭部の赤いリボンが無い。彼等の仲間が此の森に少なくとも十羽近く棲んでゐることは確実だ。始終見かけるし、又始終この鋭い叫び声や「ケララララララ」といふ笑ひ声のやうなものを聴く。そして相変わらずの風の響きと庭一面の暖かい、むしろ暑いくらゐの日光。今、軒の高さの空間を透明な金いろに光る五六匹のウスバキトンボが往ったり来たりし縁先の薪の上で真赤なノシメトンボが日向ぼっこをし、二羽のミドリヘウモンが暖かい地面へとまって、時々翼を畳んでは其の淡い草色と眞珠色の模様のある羽根の裏をみせてゐる。表は勿論ぴかぴか光る褐色の豹紋だが四枚の羽根のうち後の二枚はその金褐色がいくらか苔いろにくすんでいる。

 


九月一日

 八ヶ嶽の西の裾野、それも釜無川や宮川の谷に近いところでは、浅い輻射谷の緩傾斜を利用して雛壇のやうな水田が営まれてゐる。そして其の谷のちよっとした平地には大抵ハンノキの林が仕立てられ、樹下は腰を下ろしたり実を横になったりするのに好適な芝やムラサキツメクサなどの短い草地になってゐるところが多い。此等のハンノキは毎年夏の初め裾野一帯に赤や樺色のレンゲツツジの花が咲く頃、その鮮やかな若枝が若葉ごと縛られてそのまま水田へ緑肥として鍬こまれるのである。だから木は丈けが低くてずんぐりして、幹の先の瘤々なのが普通の形だ。オランダ時代のヴァン・ゴッホの素描に斯ういふいふ樹容をかいたのを幾つか見かける。
 今そういふハンノキ林のへりに座って、折柄花かけ時のすがすがしい稲田を前に釜無の谷を隔て、夕映えに染まった鳳凰山を見ていゐると、近くの落葉松林のてっぺんと向こうの電線に停まったホホジロが、さっきから二羽で夕方の歌合戦をやってゐる。落葉松の方が What a splendid people is ! と歌うと三十米ばかり離れた向こうの電線のが Which is your peaple? とやり返す。なかなか味のある問答だ。そしていつか日も沈んで六里彼方の鳳凰山の地蔵佛の岩塔が小さい黒い錐の先のやうになりこれがもう随分つヾいてゐる。東のはう裾野の上の薄桃いろの空にほんのりと青く地球の陰影が浮かび出た今でもなほ、水のやうに冷たく澄んだ空気の中、この高原の夕暮れの谷間に、彼等の民衆(ピープル)の応答だか歌だかがひびいてゐる。

 


 

九月三日

 私の気に入った場所の一つであるいつもの路傍の切株へ腰をかけて、午後三時頃の甘美日光と今日の爽やかな風とを背に八ヶ嶽を見てゐる。私の前にはおほかた葉を摘みとられた桑畑の斜面があり、その下にはすでに黄ばんだ垂穂の稲田、そして向うの高みは一帯の松林と点々とした耕地の眺めで、ソバの畠は白く、キャベツの畠は銀青色に見える。そして此の快晴の日の空間にかすかに雲母iきららjの粉を蒔いたやうに光る。薄青い霞が桃から(それとも今日此頃裾野の各所で焼いてゐる野火の煙かも知れない)それを透して見る八ヶ嶽・立科火山群の蜿蜒五里の遠目はすばらしい。傾いた太陽に正面から照らされて金緑色に煙りながら全地平線の殆ど四分の一を占めて、南方の編笠山獄の北のはづれの立科山で終わる澎湃たる山の波。その中でもいちばん印象的なのは、全山朱に染まった主峰赤嶽と、肩を怒らせてそれに迫るやうな阿弥陀嶽の岩峯と這松のヴィリジヤンの色だ。編笠と立科の圓い頭は柔い淡褐色をしてゐいるが、それは彼等の山頂の磊々と風化した岩塊に被はれてゐる事を示すものだろう。みすず刈る信濃の国の高原に風と日光との戯れの午後、どこか下のはうで草刈り鎌のシャキシャキいう音が分水界の勾配をあへぎながら登って来る東京行きの列車の排気の音。人間の生活を思い出させる。音響と云へば只それだけだが、なつかしい人生へ私をつなぐ是も一絃の糸か歌だ。

 


九月六日

 一日のうちでエゾゼミの鳴き出す時刻についてもう書いてもいいときが来たやうな気がするから結論めいたものを書留て置かう。
 此の山荘に住むやうになって以来 ―八月の初めだが ― 毎朝きまって八時を過ぎる頃になるとエゾゼミが一斉に鳴き出す事に気ついた。森の中の近くの樹で一羽が「ギリギリギリ」と同類が次々と鳴き出すと、それをきっかけに二羽三羽五羽十羽と、あたり近所が鳴き初め、仕舞にそれがすっかり揃ってしばらくは耳を聾するばかりの大斉唱になるのである。このギリギリの斉唱は半時間とは続かず、それ以後は比較的まちまちな断続的なものになるのだが、それにしても朝の鳴き初めは全く圧倒的とも云ふべきもので、おまけに段々とひヾく唸りの現象をすら伴ふのである。それで私は一躰何時頃から鳴き初めるものか知りたくて、最初のうちは時間を書留めてゐたが、やがて之は時間よりも寧う気温に、或は湿度に密接な関係があるのかも知れないといふのに気がついて、八月からは時間のほかに其の時刻の気温と湿度とを取る事にした。それによると、鳴き初めの時刻は日の経つにつれて、九時から正午といふやうにつまりは秋に向かふにつれて段々に遅れるが、気温の点では摂氏二十二度あたりが彼等の発音器にとって最適の温度らしく思はれる。湿度も多少は利いてゐるらしいが、此の方は大して必要な条件にはなっていないやうだ。勿論雨の日は鳴かないのである。要するにそれ自身に体温といふものを持たない彼等が、周囲の気温に暖められていて発音器の活動にちやうどいい位の体温を得ると、即ちそこで一定の筋肉を震わせ緊張した発音膜に振動を與へ、遂には身体全体まで一緒に振動を起こしてあのやうに盛んな夏の朝の鑽孔機(ドリル)の歌を生むのであらう。
 此の土地にはミンミンゼミは居ないとみえて未だ一声も聴かない。ツクツクホフシはたったの二度、アブラゼミの数は此のエゾゼミと伯仲の間にある。六月に来た時には平地のハルゼミに代るエゾハルゼミが蝉類中での最も優雅な瞑想的な歌、あの「ホーヒーホーヒーホーヒヒヒヒヒヒ…」聴かせてくれた。

(以上冒頭朱書一、二、三、四は「朝日科学」伏島浩氏の懇願により九月六日同誌に寄稿す)

 


九月二日

 今日イチヰの実と云ふものを初めて見た。信州にはイチヰの樹が多く、これが栽培されて農家の防風用の生垣に仕立てられてゐる事は今までにも登山や旅行の際に目撃して知ってゐたが、其の実を見たのは今日が初めてだ。
 いつものとほり、今朝もシジュウカラとエナガの一隊がやって来て、表座敷から見える白樺や桧の木のあいだへ散開したのでそれを望遠鏡で見てゐるうちに、庭先に植わってゐるイチヰの樹の枝葉の一部がレンズの視野へ入って来た。何だかぼんやり赤い物がが見えるのでフォーカスを合わせると其の光沢のある濃緑色をしたこまかい線形の葉のあひだに点々とまるい真赤なイチヰの木実がついてゐて、それが日光をうけてルビーの玉のやうに光ってゐる。暫くは小鳥をそっちのけに此の円筒の奧に拡大された植物の美観に見とれてゐたが、つひに一枝を折って手にとって見た。実に美しい。
 小指の先ほどの圓い壹形の多肉質の実で、色はいくらか粉っぽい鮮やかな赤、枝に接した底のはうには玉葱の薄皮やうな色をした小さな薄い鱗片が付着し、平らに切られたやうな頭のところが盃形に凹んで、中から黒い種が覗いてゐる。摘まんで口にすると甘く、汁液には一種の粘りがあって、微かにテレピンの香りがする。植物学上では、此の肉質の部分は假種皮といふ事になってゐる。雌雄別株の植物ださうで、なるほど二本ののうち大きい方の一つも実がついてゐない。イチヰは即ちアララギだが、隣家の名取のお嫁さんと妹のアサちゃんに訊ねたら此の辺では「ミネズボ」と呼んで、子供達が喜んで食べると二人とも言った。何にしてもつやつやした濃い緑の針葉のあいだに、殆ど気紛れのやうにところどころ、目もさめるばかりの、小さい紅玉を点じた此の実を私は驚嘆する。フーゴ・ヴォルフ歌にAuch kleine Dinge(小さい物でも)といふのがある。オリーヴの実でも真珠でも、美しくて価値ある物はどんな小さくても人に愛され貴ばれるといふ歌だ。今それを思い出して、以前よく歌った此歌をつくづく味い返すと共に、自分に縁遠いオリーヴの実にに代へて、心の中で此のイチヰの赤くて甘い秋の実を喜び讃へる。

 


九月四日

 Autumnal hue といふか Tints といふか、兎に角われわれの方でいふ「秋色」が、この九月初めの晴れやかな空の下、山野一帯の緑なかにほんのりと染み出してゐる。
 山桜はすでに真夏の頃からちらほら黄ばんだ葉を見せてゐたが、今では一本のうち一枝か二枝ぐらいゐすっかり黄色くなったり錆びた赤い色を呈したのがある。白樺の葉は

 


 

 九月八日

 今朝妻は起き抜けに一番の列車で東京へ出発した。一ヶ月ぐらゐの予定で、東京と三里塚とに残してあるわれわれの家財や書物をとりまとめて、こちらへ発送する為に行くのである。栄子と一緒に朝露を踏みながら停車場まで送って行って、親子夫婦しばしの別れを惜しんだ。早朝の釜無山脈には灰いろの煙のやうな山かつらが懸かり、富士と立科は綿帽子をかぶってゐた。

 帰ってから二人だけの朝食の時、栄子が戦争前からの残り物だと言ってウーロン茶をいれてくれた。それを一口啜ってゐると、卒然として昔の或情景がよみがへり、今から三十五、六年前銀座の「ウーロン茶」でたびたび森 鴎外さんを見かけた事が思ひ出された当時陸軍省の医務局長であったかと思ふ鴎外博士は、軍服に刀を吊り、室の片隅のテイブルに軍帽をきちんと置き、端然と腰をかけて茶を飲みながら、いつも必ず何か洋書を読んでをられた。ドイツ語かフランス語の本を前に開いて、厚い滑かな無罫の洋紙に鉛筆で何か書いてをられる事もあった。翻訳をしてをられたのであらう、其頃の思い出をぼつりぼつりと栄子にしてやりながら、つい昨日の事のように思はれる時間と空間の、実はどんなに遠いものとなったかを思った。

(裏座敷へ退いて机の上を清め、午前中の仕事に掛からうとすると、T君からその新しい書物が小包で届き、東京のS君から親愛をこめた手紙が来た。其の手紙を読んでゐると、栄子が食事の後片づけをしながら歌っている「昔の仲間」がきこえて来た。)

 本物の雨量計がちょっと手に入りさうもないので、今日は空缶に少しばかり細工を施して当座の間に合わせのゲージを作った。錆止めと熱線反射のために白ペンキを塗り、一米ばかりの竹の柱にとりつけて裏庭の芝生のまんなかへ立てた。
 溜降水の深さを測る棒を竹で作った。これに物差しをあてがって読みとるのである。
 かうして私の「小さい気象学」にも又一つ仕事がふえた譯だ。さっそく雨ではない一羽の真赤なアキアカネが来てとまってゐる。

 


 

九月九日

 今は秋蕎麦の盛の時で、到るところの畠が其の花の為に真白だ。近くで見れば紅い茎と柔らかい草色の葉の上にむらむらと盛り上った白い泡のやうであり、遠くから眺めると純白なマットかタオルを敷き並べたやうに見える。西南西三キロかなたの釜岳山麓の斜面の耕地をくっきりと白くしてゐる其の花が、今は私の朝昼二回の視程観測の絶好の目標になってゐる。

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十月

十月七日

 昨日夕方からの雨が今は午後二時頃に止んで、次第に青空が現れ、少しは日光もさした。夕暮近く庭に出ると頭上の青空に淡い金色に染まった羊毛の屑のやうな高い雲が出てゐるので、そのまヽ森を出て見晴らしのいい所まで行った。其時先ず何よりも私の眼を驚かせたのは青柳あたりの宮川の谷から濛々と噴上って殆ど「天に冲する」とでも形容すべき真白な雲のー寧ろ霧のーの 大塊だった。其の大塊は、然し実際は二000米近い入笠山やそれに続く山々の最高点以上に出るものではないらしく、入笠から釜無山の中腹へ濃密な像の毳立った帯 ―藤原博士の所謂山かつら― になって、かなりの速度で南東へ、つまり釜無の谷の方へ動いてゐる。ところが一方同じ山脈の入笠よりも北方では、又別の低い層積雲と覚しいき雲か、是は又堤を越える怒涛のやうに、山脈の背後でから前のめりに北東つまり茅野、上諏訪方面へゆっくりとなだれ込み、その前駆はすでに山浦方面の空を鼠色に被うてゐる。八ヶ岳はどうもかと見ると、それぞれの山頂が濃い灰色の層積雲で包まれて、其の雲は徐々に北に向かって動いてゐる。此時の地上の風光は北西で前記の霧の雲と一致してゐるが、山脈を越える釜や八ヶ岳の雲の方向とは殆ど正反対である。つまり入笠山、釜無山あたりを軸として風が廻転してゐるので、山脈の背後では南寄りの風が吹き、前面では北寄りの風が吹いてゐるのである。惟ふに此時の一般的な下層の風は本来西か南西であって、天竜川に沿って北上して来たのが伊那盆地から釜無山脈に衝突して雲を作ってゐる一方、それとも諏訪湖から其の南東へ延びた宮川の谷では空気が吸い出されて反対気流が起こり、それが青柳あたりから始まる富士見狭隘へ衝き上がって霧のやうな雲を作ったのではないかと、此の二つの可能性が考へられる。
 山脈の背後は諏訪湖盆地に渦動による低気圧が出来てその為に飽和に近い水蒸気に凝結が起こり、それが霧ヶ峰火山台地に衝突してくるり方向を転換した風に吹かれ来たものか、この事をもっとはっきりさせる為には、同時刻か或いは午後六時頃の風向、風速、気温、湿度是に雲向、雲形等を、飯田、甲府、霧ヶ峰あたりの測候所について調べてみる必要があるだらう。それにしても若も此時刻に入笠山の山頂に立ってゐて、此雲量をを眺めたならば、どんなに不思議な壮観に接する事が出来たらう。
 丁度此時、入笠の山の上には白金のやうに輝く宵の明星が出てゐた。頭上では谷の霧雲のちぎれが南は南へと飛んでゐた。
 午前七時半。表の庭で何か鳥らしい声がするからと言って妻が呼びに来たので表座敷へ行った。締め切った障子の外は月夜で森の空地の庭が明るい。娘夫婦と四人で息を凝らして聴耳を立てヽゐると、間近い所で \ 私には十米ぐらゐ離れて木の下のやうに思はれるが \たとへば石割斧で花崗岩を割ってゐるやうな、火花でも飛びさうな堅い、鋭い、金属的な叫びが二声、三声響いた。鳥には違いない。どうかして姿を見届けたい思ってしばらく待ってゐたが遂に姿を現さなかった。声の音色、量、等から考へて、どうもシギのやうらしく思はれる。
 別に、此の頃、やはり夜、森の中で「キャーッ」といふ魂消えるやうな声を時々聴く。それと之とは全く違ふが、この「ギャー」の方は事によったらムサヽビではないかと思ってゐる。然しムササビが此森に棲んでゐるかどうかは確かでない。リスは勿論ゐるが、リスは「キャー」とは鳴かないやうな気がする。

 


 

十月八日

「科学朝日」の十月号を見てゐたら理学博士 辻二郎氏の「船室生活」といふ短い随筆が眼についた。T君といふ音響学者が去年の四月に研究室と自宅と荷造りをして駅へ出してあった荷物とをすべてそっくり戦災でやられてしまって、今では六坪ほどの細長い船室のやうな実験室兼寝室で「在外多彩な敗戦生活」をしてゐるいふ記事である。T君と言はれゐる人は、戦争中ラヂオの放送で空中から聴こえて来るプロペラの音で飛行機の種類を聞分ける方法を或作曲家と協同して放送してゐた有名な学者と同じ人ではないかと思うが、それはどうでもいいとして、其の「戦時中には聴音機や音響分析機と首ぴきで水中聴音の研究に大童であった」同氏が、今では「同じ機械を使って魚の鳴声を聴くのに余念がない」といふのである。何でも浜名湖辺で魚群のすきな音を送ったり、魚群の発する音を聴いたりする実験をして居られるらしいのであるが、そのT氏が「お魚の鳴声はピチピチといふやうな声です」と言ったとふので筆者は「狐につまヽれたやうな」感じがしたといふのである。
 之を読んで思ひ出したのは、私も多分以前に焼津の漁師の鰹漁業実況を写して同時にトーキーにとった映画を見て、其時船の甲板へ投げ出されて暴れまはってゐる無数の群の中から「キイキイ」といふやうな魚を聴きとったやうな気がして、それが面白くて映画に関する随想の中に書いて発表した事がある。其時にはそれを読んだ私の口から聴いたりした家族の者や友人などからニヤニヤされて、私自身も、自分の耳のせいか、何かほかの音をさう聴いたのではないかと思って半信半疑でゐたが、此の記事を読んで、曾ての私の経験も全くの錯覚ではなかったらしいと、大いに意を強くしたわけである。若しも鰹が「キイ キイ」と鳴き、或る別種の魚が「ピチピチ」と鳴くものだとすると、水中聴音機を使って遠方を通過する魚群の種類を判断し、その魚群と同じ声をこちらから如何にも愉快さうに賑かにおくってやって彼者をおびきよせ、さうして之を一網打尽に捕獲するといふのも ―随分罪な話ではあるがではあるが ― 出来ない相談ではないやうな思はれる。

 


 

十月二八日

○ 実子の上京
 原島が目黒の自宅を他人に売ったので、預けてある亡き母の箪笥其他を荷造りして此処へ送る為に実子は再び上京しなければならなくなった。約五日間位の予定なので留守中の自分の炊事其他のことをなるべく手数の掛からないやうに万端の手順をこまごまと自分に教へて出発した。午前十時三四分の新宿行上り列車は十五分ほど遅れて出発した。客車は込んでゐて座席が無いらしかった。天気は快晴で、八ヶ岳の連峯は二五00米以上を樹氷か樹霜に被はれ、あたかもヴェイルに包まれたやうだった。

○ 八ヶ岳の霧氷
 今朝七時の気温が四度だったから六時には三度ぐらゐだったらう。高さによ遞減率を假に一00米に付0.五度し、吾々の家の在る場所を海抜九七0米とすると、二五00米の所は比較高度一五三0米で約七・七度の低温の訳だから、午前六時頃には零下少なくとも五度位であったらう。日出は五時五八分。当時霧があったかどうか知らないが、氷点下の気温で過飽和になってゐて水蒸気が昇華したか、或いは過冷却してゐて雲の霧が氷結したものであらう。霧氷は権現、赤岳、阿弥陀岳、硫黄岳、天狗岳、縞枯山等に及び、ここから見ると阿弥陀と横岳とが特に美しかった。望遠鏡で見ると殆ど一本一本の樹木がふっさりと銀色の頭巾をかぶってゐるのがはっきりと見てとられた。これは自分にとって初めてのみものである。多分「木花」と称せられる現象がこれであらう。駒ヶ岳、鳳凰、鋸等にも出来てゐたのかも知れないが、ちやうど逆光になるので見えなかった。富士山はもう雲の縞を千筋の銀線のやうに懸け流してゐる。

 午前光三達の新居へ牛乳をとりに行く。栄子急性蓄膿症で二階に臥床、今日は熱は無いがゐの工合悪いとの事。静養をすヽめて帰った。

 日の傾くにつれて気温がぐんぐん下がったが、日没前三0分位の落日に照らし出された八ヶ岳の景観はすばらしかった。もう金褐色になった山腹までの唐松、その上の唐檜、大シラビソの濃い緑、それらの上に未だ溶けあい朝からの白い樹氷。連峯全体が堂々ときらびやかで、全く心を打つ光景だった。

 夜に入っていよいよ寒冷、北西の風は鎮まったが午後九時の気温二.六度、快晴の空には続々と冬の星座が登場しつつあった。

 


 

十月二十九日(火)

 快晴、午後二時頃から南々西より巻雲射出。

○ 初氷
 今朝は六時零下0.五度、七時一度、手水鉢の水が結氷し、今秋三回目の霜(初霜は今月廿日、第二回目は廿一日)が結び、それが最もひどい霜だった。全国気象概況によると本州中部を一0三二ミリバールの高気圧が被ってゐるといふ。今朝六時札幌の気温は六時で例年より一度高く、東京は四時で六度低いのださうである。札幌よりも六度五低く、東京の例年よりも一0.五度低いわけである。八ヶ岳の樹氷は全く消えて、今日は薄霞の中で相変らずその唐松の褐黄色を見せてゐる。
 午後イデアール提げて撮影に行く。刈取られた稲田の風景と、旧射山農場の粟打ちの光景、それから栄子の家へ寄って二階の窓から巻雲の出てゐる鋸、甲斐駒風景をうつした。栄子今日は昨日より元気、入れ代りに光三鼻カゼで臥床。蟹と葱の油いためを菜に白米の夕飯を馳走になって薄暮帰宅。
 釜無の谷の上から続々と流れ出して来た今日午後の巻雲は天気悪化の前兆であらうと思はれる。夜は昨夜ほど冷えない。今夜実子は玉川石黒へ泊まっている筈だ。

 

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十二月

 

十二月一日 日曜日

 午前七時気温零下二度五分、曇、結氷と霜と霜柱とを見た。二九日夜から三十日未明にかけて降った初雪録センチは、庭や道路では正午頃にはすべて溶けた。もちろん山岳や丘陵ではほとんど昨日のまヽである。野や森や畑地でも北や西向きの所には斑々と残ってゐる。
 昼前栄子の家へ配給の酒一合、買った豚肉少々、焼けて来たパンなどを届けに行く。道は雪どけとしもどけとでぬかるんでゐる。枯草にまじった大待宵草の越年のロゼット、シロツメクサ、ムラサキツメクサ、ハコベ等の緑の色がけなげだ。路傍ではそのムラサキツメクサに未だ一輪の最後の花を見、落日の中で羽根をふるはせてゐるアキアカネを一羽見た。山頂近くを灰色の層積雲にとざされ、山腹以下の雪を弱い日光に照らされてゐる。八ヶ岳、鋸岳などを前景にツルウメモドキの金と朱との実が今日はは殊に美しいものに思はれた。

○ 山雀
  帰途此の山荘の森で、今日も四十雀の群にまじった山雀を一羽見た。折柄通りかヽった名取 のおやぢさんに教へたら、此土地で山雀を見るのは初めてだと云ってゐた。

 午後上諏訪から伊藤海彦、中島邦一の二青年来訪、夕刻まで文学談をして帰って行った。それを停車場まで送っての帰り、提灯の光で降り出して来た雪に気づいた。午後九時の観測時にも雪降り気温零上一度五分、やがて小雨に変わった。気温が比較的高いせいであらう。

 実子は今日甘藷から飴を作った。甘かった。

 

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