美ガ原熔岩台地
登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本源的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
秋の雲の砲煙がどんどん上げて、
空は青と白との眼もさめるだんだら。
物見石の準平原から和田峠のほうへ
一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。
えっどうですか、こう秋が雲の砲煙をどんどん上へあげているとか、或いは一羽の鷲が流れ矢のように落ちていったとか、非常に、この広い空間ですね、それでそこに自然のダイナミックな動き、素晴らしい詩です。
いったいこういう詩を創る「詩人の心」これはどういう風になっているのか、つまり詩を創る心というもの、これを今日は色々と尾崎さんからお話しをお伺いしたいと思います。
どうも、さっそくですが今の詩の場面ですが、美ガ原という所なんですが、私はだいたい文学に関係のある所は詩でも小説でもよく旅行する方なんですけれど、美ガ原だけはまだ、太っているせいか山は苦手なんですね。まだ行ってないんですけども。 まずその情景ですね。それから、その時の、今の詩は大変有名な詩になっておりますが、その時の心持ちなどをですね、一つお話しいただきたいんです。
いま読んでくだすったとおりね、本当に吃驚してしまって、尋常な尺度からまっ
たく桁が外れているような感じがいたしました。
今の詩はね、私が書きました詩としては随分前な、そろそろ半世紀近くですから。素人ですからね、私は別にたいして太っておりませんしね、ですけれど登りましたけれど、約二千メーター位ありますけれど。それでね、地質学者の言葉でね、辻村太郎博士の言葉ですとね「信濃中央高台」と言ってね、そこに登りますと、二千百メートルの一番高い所に登りますとね三百六十度も見えるんですよ。熔岩台地なんですが。ですから北アルプスも見えるし、後立山も見えるし、浅間の方も見えるし、八ガ岳も見えるし、それから中央アルプスも見えるし、ただそうかと思うと志賀高原の方もすっかり見えるしとても景色の良いところですね。
そうすると、まあ都会と、かいわゆる下界と違った。
まったく違った空気ですね。本当の山の冷気と言いますか、今はもう少し人が行き過ぎますがね、その時分はそれこそ半世紀前ですから、その時分は良うございましたね。
そうすると、まあそこに行かれた時に思わず詩心が、と言う。
わきますね、当然。もうその、百曲(ひゃくまがり)っていう所を、百回あったかどうか知りませんが、とにかく登って行きますと俄然天地が開けるんですよ。そりゃ吃驚しますね。
それであの、これ山の詩なんですけれども、その山村ですがね、山の麓にある山村。私は実は山村まで行ったことがあるんです。むしろ暮らした事があるんですが、その十代の終わり頃ですね。山梨県の山のずっと富士山麓の方の、寂しい炭焼きで生計をたてているような山村。暮らした事があるせいか、尾崎さんのお書きになった詩の中に「山村にて」という、あれを読んだ時になにか非常にこう打たれたわけなんですが。
ああ、そうですか。ご経験がおありなんですね。で、あの「山村にて」という詩についてですね、お話しをお伺いしたいんですが。まず朗読をですね、してもらう事にしましょう。
山村にて
甘やかな、ほんのり赤い五月の夕日が
この山ふところの村落を、新緑に重い風景を、
瞬間の希有な光で浸している。
夜に入る前最後の娘が汲みに来る
高い、澄んだ井戸の水音。
昼間わたしが見た
石段を降りてゆく其の井戸のあたりには、
すでに夜の影がさまよっていることだろう。
多くの岩やきりぎしに谺するその音が (谺 こだま)
この山村の迫った深さを思わせる。
人が其処から汲みあげる平和、
人が水桶へあける限りない涼しさ。
あの井戸の近く、大きい柿の木の下で、
或る年の夏を暮らすべき自分をわたしは夢想する。
其の時、一冊のゲーテ、一冊のヘッセと共に、
わたしは人生の最上のものを知るだろう。
山と、青葉と、空と、星、
自然と音楽とに最も強く結びついた単純な生活の
つきぬ豊かさから学ぶだろう。
黒びかりする柱を照らす吊ランプ、
たそがれの厨で物を煮る香。
あすは立ってゆく此の山間の古い家を
わたしは遠い昔から知っている気がする。
ええ、今の詩ですけれど、この娘が最後に水を汲みに来る井戸と、あのへんなんかしんみりとくるんですが。
そう先生はその山村を生活なすったでしょ、富士山と御坂山塊の間あたりで精進湖の近くでね、あそこいらは感じがありますよね。それはつまり、あそこには「人が水を汲み、人が何をする。人ってのは今の詩に二つございます。あそこには人が無くっちゃいけないんです。あれが大変な要素になるんです。だから山村ってのは、山ってものが生きてこないんですね、山はひとりで立ってただけじゃ。エベレストでも何でもそれはそれだけのものですね。そこに人間が参加していったり、あるいは愛しに行ったり、びっくりしに行ったり、するとそこから山の意味が僕には始まるような気がして。山を知らない、愛することを知らないのは山登りでは、まだそりゃ悪いけど駆出しですね。
ああそうですか。山村の魅力というものはやはり山に劣らずあると、
そうそう、我々とおんなじ人間がそこでそういう境地で暮らしているって事に。本当にね尊敬とか愛とか同感とか、憐憫の感情じゃなんかありませんよ。同感とか、愛とか、そう言うものを持ちますね。そりゃ周囲はいいんですもの。
ここは、今の詩はやはりどの辺でおつくりに、
これはね、あの利根川の支流の神流川(かんながわ)の奥なんです。で結局私はね乙父、おっぷ、と読むんですが、それをずっと行きますとね、十石峠という信濃との境、此処は埼玉県で、小海という所に出るんですが、そこへ泊まりまして、明日は立つべきその山の宿、という事なんですが。
それで山の詩ですが。先ほどの詩も今の詩も山ですが、尾崎さんが山へ入る気持ち、山に惹かれるようにおなりになったその動機というか。
これはやっぱり人には誰でも始めにつれて行ってくれる人があったはずですね。まあ、幾人かの友達も皆んな山の先輩です。それが連れて行ってくれたんですね。
それで始めは東京付近の山を歩いていたんですよね。前秩父だとか、関東平野の奥の山だとか、まあ千メーターから二千メーター近い所を歩いて。
それに私は元来自然が好きなんで、小学校、中学校の両方を通じて理科が好きだったんで、理科って科目がありましてね、それが好きだったんです。植物ですか、動物、雲、星ですね。そういうものが好きだったんです。まだ他にも好きなものはありますが、それは後で話しますが。
ですから、そういうものに満ち満ちてるでしょ、山は。ほれから、とにかく今と違って若かったですからね。良く歩けますよ。それから痩せていたから身が軽かったですね。ほれでも割合重たいリュックサックしょってね。
それからもう一つ。私は文学をやっているんですよね。ほっと文章が書きたくなったり、詩を書きたくなる。そう言う、早く言えば材料にも恵まれているでしょ。美しいもの、愛すべきもの、さっき言ったとおりの事柄を人にも感じるように、動植物の中にも感じますね。
それで、あの、今の日本の青年達が非常に山へ行きますがね、パンフレットいっぱい出て、案内書もいっぱいうんざり。本屋へ行くと山のようにあるんですが、それを見てひじょうに出かけていますがね、
それは私が若い時だって、もしもあんなにたくさん有ればやっぱりそれを買いますよ。ただしかしね、私は二十万分の一と五万分の一の地図を持ってね、そいで行って自分の山を観念の中で形作って、
自分の山ですね。自分の目で見た山。
自分の見た山です。それだから、今の人達と少し違いますね。今の方たちは行きはよいよいなんです、一生懸命登ってくる。帰りは早いですね。汽車の時間があるから帰らなきゃならないでしょ。だから山村の、あの無くなってしまうんですね。それから山へ行ったらできるだけいろんな物を、自分の目で見てくる事ですね。