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蝶の標本とへルマン・ヘッセ
うちの者たちに読ませてやろうと思って或る晩ヘッセの短篇「アポロ蝶」(赤星薄羽白蝶)を
訳していたら、私も急に自分の蒐集が見たくなった。
ポーデン湖畔ガイエンホーフ時代のあの詩人と同様に、田舎に家庭を持って子供ができ、それ
が小学校へ行って理科を習うようになると、私にも植物や昆虫、特に蝶の採集に対する昔の熱情
が再燃した。私はほとんど三十年ぶりに再び必要な道具を揃えた。子供の頃には無かったよう
な、また有っても中々買って貰えなかったような専門的な道具や便利な参考書が自由に手に入る
と同時に、採集地の範囲も遥かに広くなった。それで三四年後にはたちまち幾つかの箱を飾る美
しい蝶の標本を持つようになった。時たま出してそれを眺める私にとって、彼らは晴やかな暑い
日光や、睡くなるようなそよかぜや、花に彩られた地のひろがりの歌であった。
いま私はそうした箱の一つを戸棚から持ち出し、硝子蓋の曇りをぬぐって机の上のランプ型の
スタンドの前へ置いた。関東や中郡地方の山地や高原で自分で捕り、自分で丹念に標本に仕上げ
蝶たちが、ランプの笠に円く描き出された光の下で、その多彩な、重たい高貴な天鵞絨のような
翼を柔らかく内から輝かせ、そとは暗い二月の夜の果てしもなく降りそぼつ雨なのに、過ぎ去
った幾年の春や夏の思い出をここにいきいきと蘇らせた。
私は先ずたった一羽しか持っていない自分の薄羽自蝶を見た。ヘッセのアポロ蝶は後翅に血の
ような色の美しい球状紋を持っているが、それは近くでは朝鮮の北部だけに見られる種類で、私
のは紋の無いただの薄羽自蝶だ。それでも僅かに黄味を帯びたこの翼の、半透明な厚いパラフィ
ン紙のような感じや、前瑚と後穏の霊妙な輪郭や、増脈と斑点とをあらわす墨や薄墨の色などに
は、実に何とも言われない気品と端麗さとがある。
私はこの蝶を捕った時のことを今でも忘れない。
それはもうかれこれ五年ばかり前になる或る年の五月の末のことで、当時自分の入っていた或
る小さい山の会の仲間の幾人と、武川日ノ出山から御嶽(みたけ)、それから五日市へ出ようと
いう遠足をやった時だった。雨の翌日の晴れわたった暖かい日で、日向和田(ひなたわだ)の下
の碧い多摩川の渓谷では、もう黄鶴鵠が家庭生活をはじめていた。対岸の段丘の上の農家の庭で
は、巣箱を出り入ったりする蜜蜂が、陽炎のふるえる空間に澄んだ羽音をたてていた。
日曜だった。みんな今よりも五つだけ若かったし、時世ももう少し寛容だった。静かな村里や
山路を行きながら何かを夢想した者にも、生きる喜びを声高らかに歌った者にも、其の後しばら
くは思い出さずにいられなかったほど、恵まれた楽しい晩春の一日だった。
その御嶽を南へ降りて沢沿いの小径を辿っていた時、私はふと此の蝶を見つけたのだった.生
れて初めて本物を見て夢中にさせられた薄羽白蝶は、それこそヘッセが巧みに書いているとお
り、「空中に優雅な弓形をえがきながら音もなく静かに下りて来て、陽に輝いた岩の面へつかま
ってぶらさがった」 そして私としては、親切な仲間に声援されながら、この緩慢な動作をもつ
蝶を難なく手捕りにすることができた。
薄羽自蝶のすぐ下に、小さい揚羽のような形をして、しかしそれよりも遥かに敏捷らしく裁た
れた翼と、その翼の目も覚めるような黒と黄との虎斑模様と、殊に後翅に美しい青藍色と赤色の
紋をならべた、この今にも飛び立ちそうな蝶は姫岐阜蝶だ。私はこれをやはり或る年の五月に信
州美ガ原の百曲りの下で捕った。
これも快晴の日の昼過ぎのことで、途中で道連れになった松本の若い家具屋さんと一緒に三城
牧場を奥へ奥へと登って行くと、やがて百曲りと陣ガ坂との分れ路へ出た。其処は小さい美しい
緑の草原で、岩の上へ立って振返ると、新芽の緑玉つけた落葉松の枝ごしに、残雪の常念や槍や
穂高を見ることができた。その時、その草原へ寝転んで話をしている二人の眼の前を、火花のよ
ぅに飛び違っているのがこの蝶だった。私はすぐさまステッキへ捕虫網をつけて、さんざん追廻
したあげく、やっと掬い上げるようにしてこれを捕った。
その他甲斐駒の裏銀蜆(うらぎんしじみ)、念場ガ原のC立羽(シーたては)、八ガ岳の黄緑
立羽、信州望月の無紋赤蜆、梓山戦場ガ原の孔雀蝶などが、この貧しげな世界の寒い二月の雨の
夜に、かつての豊かな大らかな自然や、詩と幸福とに満たされたその折々の自分を思い出させて
くれるのだった。
「ヘルマン・ラウシェル」の抑(そもそ)もから最近の「新詩集」にいたるまで、私の知るか
ぎりでもヘッセは蝶についてたくさん書いている。私はヘッセにおいて最も深く霊的な詩人を見
出したと同時に、ヘッセにとって、蝶は、
すべての美しいものと無常なものと、
あまりに優しいものと豊かに過ぎるものとの象徴、
高齢の夏の帝(みかど)のうたげにつどう、
金に飾られた憂欝な客であった。
この夏の老王の賓客への襲撃を、私もまたいつかは止めるだろう。そしてその時こそ自然の中
の彼らの姿に、またこの世における一切の芙しいものの無常の運命に、今よりももっと深く、も
っと切実な愛情を抱くことができるだろう。
○ Hermann
Hess
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