拾遺詩篇 その一


 これまでにどの詩集にも収められなかった詩です。尾崎栄子さんや嘉納忠明さん、そのほか大勢の人が集めた本や雑誌や新聞その他に発表されたものをの拾遺詩集というかたちでまとめました。
 順序は私の気儘になるものです。ただし年代や発表媒体について判るものは明記します。いずれ全てが出そろったところで改めて編集します。

 

目  次
(2003/05/16)

題  名 

        初   出

 1 寒夜に思う

 詩文集10

 2 番所の原

 詩文集10

 3 山の湖

 詩文集10

 4 雉

 詩文集10

 5 秋

 詩文集10

 6 無名の冬

 日本美術 35年1月号

 7 ひそかな春

 詩文集10

 8 大日小屋(金峰山)

 詩文集10

 9 行者小屋(八ガ岳)

 アルプ 46年11月号

10 七丈ノ小屋(東駒ヶ岳)

 アルプ 46年11月号

11 将棋頭ノ小屋(木曾駒ヶ岳)

 詩文集10

12 今  日

 詩文集10

13 紐

 詩文集10

14 演奏会から帰って

 詩文集10

15 音楽に寄せて

 アルプ 48年 1月号

16 詩を書く

 アルプ 48年 1月号

17 オルガンのしらべ

 歴 程 48年 6月号

18 浜  辺

 歴 程 48年 6月号

19 朝のコーヒーを前に

 歴 程 48年 6月号

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寒夜に思う

 

枯木の枝に冬の星座が氷りつき
家の周囲にひしひしと
結晶を強める霜のひびき。
世界は冷えて涸れかわき、
人はおのれを守るのに急いで
他をかえりみるいとまもなく
愛や希望の夢もない

しかし今
霜と星とこがらしの夜を
私の聴いているバッハの衆賛前奏曲が
「おんみを装え、
   おお美しき魂よ」と歌う。
私の貧しくみにくい魂をも
装う恩寵があるとするならば
それは内に熱く充実して
氷の下に未来の春を身ごもっている
この一見痩せ枯れた世界への、
深くて篤い、人間的な信頼のほかにはにだろう。

 

 

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2003/05/07

 

番所の原
  (妻に)

 

山また山の乗鞍山麓、
番所の原、                    
(番所  ばんどこ)
その六月の若葉と花の
静寂の美をつくした無人の果てに、
ああ、親しい人々の誰が想おう、
この世の塵労に疲れたおまえが
いま遠く来て、夕日の中、
懐かしく空を見上げてすわっていると。

温愛と善意とに人間苦を耐えて
つねに晴朗に見えるおまえゆえ、
世間のみか、私でさえ
ともすれば女人のまことに想い到らず。
存在のあわれの深みを測り得ない。
おまえの真の故郷が天ならば、
その母なる国を思って
私は恥じる。

草にすわったおまえを柔らかにかこんで、
ただ見る若い草紙樺と白樺と
花もさかりの小梨の原、
めぼその囀り、あおじ歌の
銀のさざめきが慰み慈みの雨と降る。
峯をつらねた乗鞍の偉容と残雪の壮麗……
ここはおまえの望郷の席で、
私のではないようだ。

 

 

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(2003/05/07)

 

山の湖
  (白駒の池)

 

歳月の奥の思い出のように、
隔絶のうつくしい歌のように、
ひとりおとずれて来た山中深く
湖はあかるく青くたたえている。

そこだけ雪の吹きわかれる
きらびやかな天の円錐の底に、
人の世を遠い清らかなさびしさを
鳴きとよもしてはひたと黙する小鳥の声。

ひとむらの黄花石南を目の前に、         (黄花石南 キバナシャクナゲ)
曲りくねった岳樺に身をもたせ、
世界の不安も、われも忘れて
高俊の夏の光に溶け入る心よ!

煩悩もなく、焦慮もなく、
運命に満たされてそれをぬきんでた山の湖水が、
照り曇る空のさまざまをうけとって
晴れやかな水のしじまに醒めている。

 

 

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2003/05/07

 

 

禽舎の雉がしきりに鳴く、
金緑色と深紅の絹を裂くように。
腹がへったのか、寂しいのか、
それとも故郷の飛騨の谷の
つめたい泉や澄んだ日光が恋しいのか。
東京の梅雨空に雲が切れて
午後三時、蜜のような日が射しはじめた。
涼しく生まれた西風が
禽舎を囲む白樺や樅の枝から
こがね色の雨後の雫をぽたぽた落とす。
お前の獄は都会の庭の片隅だ。                
(獄 ひとや)
待ってくれ。じきに行ってやる。
あいにく私はサン・ジョン・ペルスの
光と渾沌の渦まく詩を読んでいるところだ。

 

 

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(2003/05/07)

 

 

きのこ採りの路からそれて
しばらく此処で休んでゆこう。

高原でもこのひっそりした一角だけは
十年まえと変らない。
西風に染まった山なみも、
黄ばんだ六本の白樺も、
しんみりと日光に暖められた芝草も、
そのあいだに横たわる火山岩も、
すべて昔のあの頃の
秋とその歌とを失わずにいる。

若いジークフリートの葬送が
喪絹を懸けた太鼓の曇ったとどろきや
悲しく壮麗なラッパ斉奏のひびきと共に
どこか遠くで行われているような昼の夢想に、
私の落ちこんだのも此処でのこんな秋だった。

オルレアンの野にその寺院と町が見える
ロアール河の秋めいた風景への連想から、
生涯の夕暮に「シャルル・ペギー」を書いたロランと
その人へのせつない思慕に
私の心が泣いたのも此処でのこんな一日だった。

そしてごらん、
その岩の陰からあの白樺の木の下まで
薄桃色の花が風に吹かれて咲いている。
これは日本には無い犬サフランだ。
犬サフラン、 Herbstzeitlose ……       
(ヘルブストツアイトローゼ)
秋の牧場のこの花と、それを見事な詩に書いた
あのヴェルフェルへの愛から、人知れず、
その球根をわたしが此処へ埋めた花だ。
さまざまな昔が回想され、
すべての回想が風と太陽に蒸発して、
世界が透明な光になごむ秋 ―――

妻よ、
もうしばらく此処で休んでゆこう。

 

 

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(2003/05/07)

 

無名の冬

 

いま私のすわってりう堆積山地のこの丘に
羊歯が枯れ、ぎぼしも枯れ、             (
羊歯 しだ)
ちいさい身軽な四十雀が
古い水楢の枝から枝へ
寒気の精のように歌っている。
それで私もきらきらと
世界の冬とその光とに目ざめている。

私はいろいろな物の名を知っている
木や、鳥や、山や草の‥‥‥
しかし、結局名はすべて符諜にすぎない。
だいじなのは形象とその心だ。
私の根源に深く作用して、
遠く変貌をとげさせる実在とその意味だ。
観る者、加わる者にとって名はいらない。
名のさまたげや重荷を捨てて、
たがいに溶けあい照らしあう実相の世界に
明るい澄んだ心で参与すること、
水や日光のような自分でありたいと
私が願ってからすでにどれだけの年が過ぎたろう?

 

 

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(2003/05/07)

 

ひそかな春
 

梅への道が氷って堅い。

よみがえりの日光を心に信じ、
うらぶれた冬枯れの風景に
一脈のやわらかい空気の波、
ひと刷毛のなごやかな青空の色、
金属のような枝をふるわす
清冽な小鳥のひと声を夢みながら、
かたくなに凍結した自然の中に
心は春の創造をこころみていた。

信じながら待つ思いのせつなさに、
モーツァルトの幸いのメロディーや
シューベルトの純な一ふしを口ずさんで
ふるさとの冬まだ堅い道を行けば、
ああ、果たせるかな、時より早く
北ぐにのきさらぎを凛々と
そこに綻びている星のような一輪の白!     
(綻び ほころび)

梅への道はついに春への道だった。

 

 

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(2003/05/07)

 

大日小屋 (金峰山)

 

まだ出来たてのほやほやの
木の香も高い小屋だった。
泊まっているのは営林署お雇いの
木を伐り出しの山人足か、
隅のところに寝具が二た組、
片づけてある鍋、薬罐、
囲炉裏の灰も新しかった。
私達はこれから頂上をきわめて
御室の沢から水晶峠、             
(御室 おむろ)
黒平の今宵の宿まで降りるのだ。        
(黒平 くろべら)
もう昨夜の金山部落も有井の家も
富士見平の屋根にかくれて遙か下、
「人は美なりとはやせども
わが美わしきを我は知らず
自然のごとく我はただ在り」と今朝書いた
あの娘と手を振り合う約束の大日岩は
これから縦八丁の登りをまだまだ上だ。
あたりでは頻りに駒鳥が歌っている。
明るい沢が鳴っている。

 

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(2003/05/07)

 

行者小屋 (八ガ岳)

 

もうずいぶん古び破れた無住の小屋、
赤岳と横岳の鞍部からまっしぐらに
美しい名にひかされて急降下はして来たものの、
ここで一夜を明かすとはさすがに心細かった。
有るのは床板と天井と板羽目と
枠のはずれた囲炉裏だけ、
山小屋炉辺の歓談などとは
遠い都会での世迷事だった。           
(世迷事 よまいごと)
友は水探し、僕は焚木集め、
それでも一本の蝋燭を中にしての
一杯のウィスキーはうまかった。
時折の夜風とむささびの叫びには驚かされたが、
それも馴れれば深山の真夜の歌、         
(真夜 まよ)
あすは阿弥陀へ登ろうと友が言い出し、      
(阿弥陀 あみだ)
ぼくは上諏訪での温泉の味を空想した。      
(温泉 でゆ)
それから雨具にくるまってうとうとしたが、
今思えば二人にとって、行者の小屋よ、
人生は漸くにしてまだ道の半ばだった。          

 

 

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(2003/05/07)

 

七丈ノ小屋 (東駒ヶ岳)

 

甲斐駒七丈ノ小屋の朝、
寝過ごしてご来迎は拝みそこねたが、      
(来迎 らいこう)
これからの登頂に心が勇む。
くっきりと残雪を塗りこんだ北岳の大彫刻、
続いて間ノ岳、農鳥と
朝日に燃える南アルプスの壮観はどうだ。
八ガ岳はまるで歌でも歌っているようで、
編笠から立科までの長い旋律が美しい。
怜瓏の富士は元より、木曽駒、御岳、
その又先の北アルプスには霞が棚びき、
槍も穂高も常念も
まだ暖かに柔かに眠っている。
ぼくはあたりに多い岩雲雀を聴きながら
岩に腰かけて湯の湧くのを待ち、
コーヒーを入れたらコテコテと
バターを塗ったパンの朝食を詰めこんで、
さてゆっくりと残雪と花崗岩、
その間を単身頂上へ向かうつもりだ。

 

 

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(2003/05/07)

 

将棋頭ノ小屋
     (木曾駒ヶ岳)

 

組立カメラ、三脚、動植物の採集用具、
それに二日分の食糧、着換え、おまけに雨具、
まったく柄にもなく大きな重い荷物だった。
そして伊那から頂上をきわめて上松へと
木曽駒を乗り越そうという野望だった。
ところが午前中の内ノ萱から大樽のあたり   
(内ノ萱 うちのかや・大樽 おおたる)
急いで下山して来る連中にたびたび出逢う。
不思議に思って訊いてみると
今夜は山は大荒れだと言い、
中止した方がいいと言われた。
ぼくの天気予知ではそんな筈は全く無い。
なおも一人登って行くと又下山の人達に出逢う。
最後に将棋頭の小屋番というのに逢って
断然やめろと言い渡された。
しかし小屋はもうすぐだった。
ぼくは未練を捨てきれず、
小屋の中を覗いたが内部はもうからだった。
火の気の始末がちゃんとしてあり、
寝床がきれいに積まれていた。
するとこの片づけられた無人の小屋を前に
或る恐ろしさが突如ぼくに襲いかかった。
ぼくは背中の大きな重い荷もおろさず、
そのまま逃げるように伊那に戻って
吹き出した風の中を終列車で帰京したが、
その数日後ふたたび頂上をたずねた時には
同じ小屋が、そんな事、
どこ吹く風かと通り過ぎるぼくを眺めていた。

 

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(2003/05/07)

 

今  日
  (満八十歳の誕生日に)

 

森の中にはまだ雪があるが
路のへりにはもうたんぽぽが咲いている。
しかしまことの春はまだ来ないで、
時おり北風に追われて帰って来るのは
寒い灰いろの気まぐれな冬だ。

蝶に出遭えば蝶を歌い
鳥を聴けば鳥を歌った遠い日よ、
それも今では遙かな思い出。
霊だけは静かに醒めているが、
愛の心は寂しいながら既に老いた。

しかし今一度立ち上がれ、その心よ、
老いを忘れて若さの笛を吹き鳴らせ!
たとえ明日はあえなくなろうとも
まだ来ぬ春を引き寄せて今日を花やげ!

 

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(2003/05/07)

 

 

これが何を何に結びつけ、
どんな人と人とを繋ぐ縁の            
(縁 えにし)
強くて太やかな紐となるかは知らないが、
私は毎日そこばくに閑暇に
その中へ甘美な夢を綯いこむ事を続けている。   
(綯い ない)
下の部屋から聴こえて来るのはピアノのアレグロ、
そのアレグロからアンダンテへと
移る絶妙な瞬間を思いながら、
弾いている娘の遠からぬ未来を
夢想の糸として加える事も忘れはしない。

衰えた生命は神にゆだねても
愛する者たちの幸福を
願いながらするこの静謐な仕事の境地よ、
それを幸いの時間と観じてほほえむ
そんな小さな春がまだ私にもあったのか。

 

 

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(2003/05/07)

 

演奏会から帰って

 

私は遠い町の聖堂から帰って来た。
其処ではバッハのオルガンが壮大に鳴り響き、
シュッツの賛歌が清らかに雄々しく流れた。
そしてしばしば私の心をおびやかす
暗い死の思想を吹き払った。

なぜならばあの巨匠達は今もなお
彼らの敬虔雄大な音楽で
堂々と彼らの中に生きているではないか。
それならばどうか私もそうあるように!
肉の形骸は煙と消え、土と化しても、
仕事は残って人の心に思い出され、
望みの星となって世界の夜空を照らすように!

遠い町の聖堂から帰って来て
今私は疲れた体で眠り入る。
しかし窓は外の夜更けの空は
きらきら光る星々の衆讃歌に満たされながら
美しい明日の朝日を予告している。

 

 

 

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(2003/05/16)

 

音楽に寄せて

 

或る楽器の音が、その調べが、
私の眠られぬ夜の心を揺すり、
覚めている知覚の中で戯れる。
それは時には優しく慕わしく、
時には雄々しく勇ましく、
また時には平らかに洋々と行きながら
眠られぬ心の闇の空間に
燦然たる模様や遠い風景を描き出す。

それは昨夜私が聴いたオーボエの
ソナタが目を醒ました歌だろうか、
或いは今までに聴いたさまざまの
美しい音楽が蘇った輪舞だろうか。
いずれにもせよ一日を生きた数多くの
空しい心づかいや労苦が一掃されて、
ここに本来の生活の意義が
力づよく認識されたこの喜び!

音楽に耳を傾け目を瞠ることを         (瞠る みはる)
もう私は只事とは思うまい。
只事とは徒らにあくせくと生きる事、       
(徒 いたずら)
来る毎日に愚かしく追われる事だ。
音楽はそのような生活の遙か彼方に、
われわれの心の本国であるあの愛と
善と美との理想の姿を、
たまたまの目醒めとしてくりひろげている。

 

 

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(2003/05/16)

 

詩を書く

 

私は初冬の曇り日の一日を
朝から一篇の詩を考えながら過ごしている。
さまざまな言葉は流木のように寄って来るが、
心に叶ったそれは未だ見出せない。

詩は霊感から生まれた言葉の造形だ。
その言葉は何でもいいという物ではない。
幾十の中から卒然と現れて
まっずぐに肯綮に当たるものでなくてはならない。  (
肯綮 こうけい)

自分が植えれば必ず花が咲き実が成るという
そんな不遜な考えでは詩は出来ない。
楽々と書けるのはすでに心の老いの兆し、      
(兆し きざし)
真に詩に苦しむのは魂と体の若さの証拠だ。

 

 

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(2003/05/16)

 

オルガンのしらべ

 

枕につけた耳の底で
まだあの音が鳴っている、
バッハの壮大なオルガン曲の
あの目ざましいトッカータとフーガが
花の香のような残響をさえ伴って。

鎌倉から東京目白は程遠いが
久方ぶりに神々しい歌のいくつかを
聴きに行くと思えばあの教会が
自分の魂の拠りどころ
救いの世界のように思われた。

レコードなんぞ物の数かは!
敬虔な心で人間の生きの身が弾く
あの音楽をあの教会の高天井の下で
この耳でこそ聴きたかったのだ、
このごろの雑念を神の嵐に吹き曝そうと。

 

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(2003/05/16)

 

浜  辺

 

のびのびと晴れやかな春の浜べで
寄せてはひろがる波の裾を
数知れない海辺の鳥たちが            
(海辺 かいへん)
畳むように、縫うように
楽しげに駈けたり飛び跳ねたりしている。

沖によこたわる大島の姿も
今日は柔かに霞んで影絵のようだ
湾を包む岬のみどり
いくつかの漁村、ひとつの町
すべてがこの一日の一刻を酔っている。      
(一刻 ひととき)

ただその酔いの天地にはっきりと覚めて
砂浜の一点に佇んでいるのは私だけ、
どんなささやかな美も大きな調和も
敢えて決して見のがしはすまいと
この金と青との水陸に明るい目を放っている。

 

 

 

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(2003/05/16)

 

朝のコーヒーを前に

 

朝の食後に一杯の濃いコーヒーを
ゆっくりと啜るのが私の長年の慣わしだ、
窓からの風景を眺めながら
又は誰かの短い文章を読みながら。

この幸福な慣わしは私の仕事の
何十年を付いて廻って来た
そしてそのサーヴィスは妻がした
私はそれを当然な事として受けて来た。

しかしそういう天与の慣わしの一切が
私から取り上げられる日の遠くない事を知っている、
そして過ぎ去った幸いの日への思慕の情が
それもまた空しく永遠の底へ沈んで行くのを覚悟している。

 

 

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(2003/05/16)

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