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拾遺詩篇 その二


 これまでにどの詩集にも収められなかった詩です。尾崎栄子さんや嘉納忠明さん、そのほか大勢の人が集めた本や雑誌や新聞その他に発表されたものをの拾遺詩集というかたちでまとめました。
 順序は私の気儘になるものです。ただし年代や発表媒体について判るものは明記します。いずれ全てが出そろったところで改めて編集します。

2002/12/3  

 

目  次

題  名 

       備   考

 1 一つの想像

 1969年7月21日人類初の月面着陸を記念したレコード「人類遂に月に立つ」より

 2 胡桃の木の下で

 「朗読 ラジオ詩集」 朋文堂 昭和29年一月十日発行

 3 女のトルソ *       

 「命の川」大正六年6月号

 4 大煙突

 「命の川」大正六年6月号

 5 新戦場

  「南有集」 昭和七年九月一日  東北書院

  

  

   

 

  

 

  

 

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一つの想像

 

着陸船イーグルの二人の乗員、地球人代表のその一人、
アームストロングがまず彼の左足から
月面の「静の海」の荒寥たる一角、
人類未踏の天体の土にがっちりと下り立つ。

星条旗、地震計、反射鏡その他の据え付け、
隕石や火山弾や岩石や土砂の採集、
その間にも撮影、観察、記録の製作。
二人のために時間は作業でぎっしりと詰まっている。

三十八万四千キロという暗黒の宇宙のかなたに
三分ノ一ほど欠けた地球の色や姿は美しいが、
それをうっとりと眺めているにしては
あまりに凝縮された時間と、人間界からの孤絶の境地だ。

せめて生ある物の証拠でもと探してみるが、
鋭い視線にもそれらしい物は映らず、
ただ時々護衛飛行中の母船コロンビアと
それを操縦しているもう一人の同僚の事が思われる。

 

 

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胡桃の木の下で

 

日光は暑いが、風は涼しい。
池のそばの青い胡桃の木の下が
けふの昼すぎの私の席だ。
池には針のような藺草が生え          (藺草 イグサ)
白い沢瀉が水にうつって咲いてゐる。      (沢瀉 オモダカ)
真赤なとんぼや瑠璃いろに光るやんまが
水の上を水平に往ったり来たりして、
時時彼等の透きとほった翼がガサガサと触れあふ。

あたりには野生の薄荷や            (薄荷 ハッカ)
伊吹麝香草の健康な匂が漂ってゐる。      (伊吹麝香草 イブキジャコウソウ)
むかうの暗い森を満たしてゐる蝉の合唱、
晴れやかな煙を上げてゐる遠い山麓の麦畑。
このさかんな夏の高原の午後を、
胡桃の木陰で私が読むのは、
泉や丘や狩のことを書いたジャムの詩集だ。
私は小さい竹の笛を持って来た。
それで今一曲モーツァルトを吹いたところだ。
むかうから一人中学生らしい少年が来る。
この高原へ避暑に来たどこかの都会の子供だらう、
三角の緑の小函を革帯につけ、
まっしろな薄絹の捕虫網を持ってゐる。
少年は私には目もくれず、
汗に濡れた顔を上げて、
胡桃の木の一枝一枝、
翼のやうに垂れた其の葉の一枚一枚を目でさがす。
彼は胡桃の木から生まれる蝶を、
彼にとっては珍しい尾長蜆をさがしてゐるのだ。 (尾長蜆 オナガシジミ)
やがて少年は一匹を見つけた。
彼は長い柄を斜めに構へて白い袋をサッと振った。
南無三、蝶は身をかはしてついと逃げた。    (南無三 なむさん)
そして木の上を一廻りしながら、
又羽根を立てて別の葉の上に静止した。
この薄色の紋をならべた美しい羽根の裏、
この蝶をこそ探して少年は日盛りの道をやって来たのだ。
彼は唇を噛み、両眼を熱くして、
今度こそはと一層強く網をふるった。
だが狂気のやうに飛び立った尾長蜆は、
真青な空間をくるくる舞って、
遂に高く高くきらめきながら夏空の奥へ消えて行った。

少年はじっと其の行衛を見てゐたが、      (行衛 ゆくえ)
だまって足早にあゆみ去った、
そばに坐って見てゐる私には目もくれずに。
たぶん、「僕にはまだ次のチャンスがある、
まだ幾十度の夏があり、未来がある、
だが本と笛を持って木陰に憩ってゐる此の大人、
此の見も知らぬ老人にはそれが無い」
そんなことを思いながら、冷然と、
彼の無念の目撃者には幼い一瞥をも与へずに。

彼は夏草の丘にかくれる其の少年の後ろ姿を
微笑をうかべて見送った。
そして健康な老年の、強い晴れやかな心で思った、
自分にもあの少年のやうに、
また此の詩集のジャムのやうに、
輝く夏の道ばたであこがれの蝶を、
美しい恋愛をいくたびか掬ひそこねて、     (掬 すくう)
ただ失望のむなしく青い空間だけを
白絹の心の底にのこした昔があったのだと。   (白絹 しらぎぬ)



註 この詩は昭和26年5月以降JOAK(NHK東京放送)からの「お休み番組」か「お休み
  の前に」或いはJOBK(NHK大阪放送)の「ラジオ・ポエム」のいずれかで放送され
  た。日時は不明。  

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女のトルソ

女のトルソは台の上に
まろく、ふとく
がつちりと、のびやかに

豊満な肉は
岩畳な骨組みをつゝみ
しなやかに あかるく
きつぱりと、ほがらかに
春のはなさく
薔薇のつぼみの微妙さにいきづく

一ぽんのいのちあつて
胴体を上下につらぬき
いのちの力は体躯にみちあふれ
さかんなる気魄
かすかにふるふ

張り切つて豊かな胸の平野にをどり
もりあがつた乳房の丘をめぐつて
その麓にまどろむ光は
ふたたゝび目ざめて腹にひろがり
たはむれては眠り
たはむれては眠り
やがて羞恥をつゝむ内股のふかみに
はるかに消え入る
あゝ、女のトルソ
万人の母なる
自然の大建築
春の花の、春の土壌

うねり脈うつ海洋の波
もろもろのいのちはこゝに芽ぐみ
愛はかゞやかにこゝにそだつ
賛嘆をつくして及ばぬもの
愛撫をきはめてみちたらぬもの
甘美にみのり
壮大に高まり
美醜を絶して自然そのものであるもの

私はロダンのトルソの前にひざまづく

 

註 「地獄の門」の一部で、別に「若い女のトルソ」としてつくられ、1910年の
   サロンに出品され、ロダンの傑作の一つと言われている。

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大 煙 突
     
あるひとに

 

生活につかれたら来て見たまへ
「蔵前」の三本の大煙突を
天空を摩してならび立つ大煙突を

このごろの初夏の晴天なら
淡碧に微動するおほぞらの海を
遠く航する煙に似た雲の群が
そのヒーロイツクな頂を飛ぶであろう
まつさをにけぶる五月の雨の中
その薄紗の被幕をつらぬいて
思はぬ頭上にのしかゝり
あくまでもふとく
あくまでもたかく
モンスタアのやうにつったつ大煙突
恐らく君は
その圧迫にいきづまつてしまふであらう

むくむくと盛り上がる雲の群の背景としては
かぎりなく壮大に
星々の一斉の歌ふ夜空にそびえては
かぎりなく静寂に
つめたく朗らかな朝明けをむかへ
とほくなつかしい落日を見おくる

風は郷愁の悲曲を高く吹きめぐらし
日は燦として永劫の天空を輝きわたる
その中に堂々とそびえ立つて
死せる巨人のやうな
まつくろな大煙突

なさけなくなったら来て来た見たまえ
「蔵前」の三本の大煙突を b
君は
何かしら大きな感じをつかむだらう
そして
多分その女々しさも消え去るだらう

 

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   新 戦 場
       「南有集」より

 

吾々はもう何者でもないだらう、
他人にも、會てあつた自分にも。

あの死の瞬間に、
出來るものならもう一度此の足で立ち上つて、
どこか知らない水と森との清涼な未開の國で、

全く新しく生き直したいと思ふほど
此世がなつかしく美しく見えたのだつたが、
別の眞實が
仰ぎ見させる白い光りで現れたのだつたが‥‥‥

もう取り返しのつかない碎かれた頭、
穴のあいた、みじめな胸。
これが會てそれぞれの
勞苦の母の最愛のものだつた。

たましひの奥底では、
絶えず善くならうと思ひ、
人らしく、正しく、樂しく生きようと願つて、
その準備もしてゐたのだが‥‥‥

熱い、大きなそよかぜに吹かれて
やうやく茂る夏草に埋もれる身が、
死んで後まで憎み輕蔑することを、
生きている他人から期待されるのは厭だ。

吾々を護國の鬼などと云ふのはやめてくれ。
本當すでに互に忘れてゐながら、
奉仕し、奉仕されたと思はうとするのは嘘だ。
吾々はもう君達の寄託からは自由だ。
異境の夏の草よりも風よりも遠く、
もう金輪際
君達とは無關係だ。

   

註  月原橙一郎選による「南有集」の主な作者は萩原朔太郎、室生犀星、高村光太郎
   北原白秋等二十五名による。明治大正昭和の代表的な詩人の作品を選抄したもの
   である。
   しかし尾碕の「新戦場」が反戦的内容であると言うことから発売禁止となった。


    昭和四十七年尾崎喜八詩文集2「旅と滞在」
    では
   「死んで後まで憎み輕蔑することを」が
   「死んだ後までも憎んだり呪ったりすることを」
    に改められている。

   

 

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