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自註 富士見高原詩集

 

        昭和四十四年十一月三十日  青娥書房発行  A5変型
                      153ページ  定価千四百円 限定1000部 
                      他に特製版100部限定 定価三千五百円
                      装幀 串田孫一

        昭和五十九年七月十五日   鳥影社発行 
                      207ページ  定価2800円
                      尾崎 実子の再版にあたって
                      装幀 串田孫一

 
(八ガ岳)

校正 岡林 壽男
2004/03/06 


前 書 き 

 私には長野県富士見在住時代のものを集めた「花咲ける孤独」という詩集がある。昭和三十年の二月に東京神田の三笠書房から出版されたが、今ではもう絶版になって元の姿では容易に手に入らない。その後昭和三十四年十月に「尾崎喜八詩文集」第三巻として東京麹町の創文社から同じ題名で出て今日に及んでいる。しかし此のほうには最初の「花咲ける孤独」以後の作品も加えたので内容も増加している。そして今度のこの本には同じ高原で得た詩からだけ総計七十篇を選んで「自註 富士見高原詩集」という題を与えて、ここに新しく出版する事にした。好んで私の詩を読んでおられる諸君には旧知の作品も多いだろうが、今改めてこの詩集を出す気になったについては別に一つの理由があった。それは「自註」である。作者自身が自分の詩に注釈を施し、或いはそれの出来たいわれを述べ、又はそれに付随する心境めいたものを告白して、読者の鑑賞や理解への一助とするという試みである。

 詩は言葉と文字の芸術であると同時に作者の心の歌でもあるから、本来ならばその上更に解説その他を加える必要は無いはずである。しかし最近は色々と出る選詩集に中に、選者その人の鑑賞や、注釈や、或いは批判めいた物さえ添えられている場合が多くなった。それは又それで必ずしも悪くはないが、しかしそのために作者本人がいくらか困惑を感じる場合も絶無とは言えない。鑑賞や批判が原作者の本来の意図や気持と食い違ったり、注釈に誤りがあったりしたのでは、迷惑するのは作者ばかりか、心ある読者、鑑賞力の一層すぐれた読者の中には、その事に不満や不快を感じる人さえいるのである。現に私はそういう例を幾つか知っているので、今度は敢えて自注という新しい試みに手を染めた。会津八一氏にも「鹿鳴集」の立派な自注本があるが、詩集としてはこれが最初のものではないかと考えている。それはともかく、私はこういう事をやってみた。あとは読者諸君の自由な判断に任せられるのほかはない。それにしてもまず詩を読み、更に註を読めば、或いは私という人間の心と生活と芸術とを一層よく理解してもらえるかと思うのである。

           

                            1969年11月7日 立冬の日
                               鎌倉市山ノ内明月谷 淡烟草舎にて

               

                          目  次

  1 告  白

  2 本  国

  3 新しい絃

 4 存  在

  5 落  葉

  6 夕日の歌

  7 土  地

 8 秋 の 日

  9 短  日

 10 朝のひかり

 11 十一月

 12 雨氷の朝

 13 春の牧場

 14夏の小鳥が

 15 薄雪の後

 16 旗

 17 冬のはじめ

 18 本  村

 19 夏野の花

 20 或る晴れた秋の朝の歌

 21 雪に立つ

 22 足あと

 23 雪の夕暮

 24 春の彼岸

 25 早春の道

 26 復活祭

 27 杖突峠

 28 夏  雲

 29 秋の漁歌

 30 農場の夫人

 31 冬のこころ

 32 地衣と星

 28 山  頂

 33 雪山の朝

 34 安曇野

 35 葡萄畑にて

 36 八月の花畠

 37 晩  秋

 38 炎  天

 39 盛夏の午後

 40 路  傍

 41 幼  女

 42 老  農

 43 フモレスケ

 44 ある訳業を終えて

 45 展  望

 46 かけす

 47 詩人と農夫

 48 林  間

 49 木苺の原

 50 日没時の蝶

 51 音楽的な夜

 52 くろつぐみ

 53 郷  愁

 54 雪

 55 人のいない牧歌 

 56 巻 積 雲 

 57 故地の花

 58 蛇

 59 秋の林から

 60 山荘の蝶

 61 山荘をとざす

 62 目  木

 63 峠

 64 渓  谷 (ウ)

 65 渓  谷 ()

 66 渓  谷 (。)

 67 充実した秋

 68 十一月 

 69 受難の金曜日 

 再版にあたって 

 ○ 文学館へ

                                         


 

 

告 白

 

若葉の底にふかぶかと夜をふけてゆく山々がある。
真昼を遠く白く歌い去る河がある。
うす青いつばさを大きく上げて
波のようにたたんで
ふかい吐息をつきながら 風景に
柔らかく目をつぶるのは誰だ。
鳥か、
それとも雲か。

疲れているのでもなく 非情でもなく、
内部には咲きさかる夢の花々を群らせながら、
過ぎゆく時を過ぎさせて
遠く柔らかに門をとじている花ぞの、

私だ。

 

 

 祖国は戦争に敗れた。物質の上でも、精神の面でも、無数のもの、さまざまなものが崩壊した。いわゆる「銃後」の国民の一人として、詩という仕事によっていささかでも国に尽くしたいと思った私の念願も、「此の糧」や「同胞と共にあり」の二冊のささやかな詩集と一緒に今はむなしい灰となった。その無残な荒廃の跡に立って、私は元来人間の幸福と平和とに捧げるべき自分の芸術を、それとは全く反対の戦争というものに奉仕させたおのれの愚かさ、思慮の浅さを深く恥じた。私は慙愧と後悔に頭を垂れ、神のような者からの処罰を待つ思いで目を閉じた。そしてもしも許されたなら今後は世の中から遠ざかり、過去を捨て、人を避けて、全く無名の人間として生き直すこと、それがただ一つの願いだった。

 そんな時、終戦の翌年の春の或る夜、ふと私からこの詩が生れた。起死回生の勢いも潔さも見られないが、それはこの場合当然な事であり、むしろ悪夢から覚めた詩人の良心の、まだどことなく頼りない、音をひそめた最初の歌のしらべだと言うべきであろう。

 

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本 国

私には ときどき 私の歌が
何処かほんとうに遠くからの
たよりではないかという気がする。

北の夏をきらきら溶ける氷のほとりで
苔のような貧しい草が
濃い紫の花から金の花粉をこぼす極北、
私の歌はそこに生れて
海鳥の暗いさけびや 海岸の雪渓や
森閑と照る深夜の太陽と共に住むのか、

それとも 空一面にそよかぜの満ちる
暗い春の夜な夜なを
天の双子と獅子とのあいだに
あるとしもなく朧に光るペルセぺの星団、
あの宇宙の銀の蜂の巣、
あそこが彼の本国かと。

 


 この詩も本質的には前の作品と同じ種類のものと言えよう。誰からも離れて、おそらくは誰のとも違った現在の心境で、たった一人、ふと湧いたこんな思いを筆にするのが、はかない喜びでもあれば慰めでもあった。進んで交わる共は無くても、昔ながらの「詩と真実」の自然だけは私のために残っている。出来た詩が自分でも佳い物のように思われる時、そこにはいつでも愛する自然がその本国として遠く横たわっているような気がするのだった。

 第二聯に見られる「北」と「きらきら」、「氷」と「苔」、「海鳥」と「海岸」、「森閑」と「深夜」などのような類音は、半分は私の癖としてひとりでに、半分は意識的に出来たもの。また「天の双子と獅子」は、両方共に冬から春にかけて晴れた夜空を飾る美しい星座の名である

 

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新しい絃

 

森と山野と岩石との国に私は生きよう。
そこへ退いて私の絃を懸けなおし、
その国の荒い夜明けから完璧の夕べへと
広袤をめぐるすべての音の
あたらしい秩序に私の歌をこころみるのだ。

なぜならば私はもう此処に
私を動かして歌わせる
顔も天空も持たないから。
歌はたましいの深い美しいおののきの調べだ。
それは愛と戦慄と自分自身の衝動への
抵抗なしには生れ得ない。

私は逆立つ薮や吹雪の地平に立ち向かおう、
強い爽かな低音を風のように弾きぬこう。
だがもしも早春の光が煦々として          
(煦々 くく)
純な眼よりももっと純にかがやいたら、
私の弓がどの弦を
かろい翼のように打つだろうか。

 


 戦災で家を失った私は、妻を連れて一年間、親戚や友人の家から家へ転々と居を変えた。どこでもみんな親切にしてくれたが、それでももう生れ故郷の東京に住む気はなく、どこか遠く、純粋な自然に囲まれた土地へのあこがれがいよいよ募った。ところがちょうどその時、或る未知の旧華族から、長野県富士見高原の別荘の一と間を提供してもいいという好意に満ちた話が来た。私の心は嬉しさにふるえ、思いはたちまちあの八ガ岳の裾野へ飛んだ。この詩はその喜びと期待とから颯爽と泉のように噴き出したものである。

 第二聯の「愛と戦慄と自分自身の衝動への抵抗なしには生れ得ない」は、自分の作詩上の心の用意を音楽家のそれになぞらえて、今後は一字一句たりとも興に任せて放慢には書くまいという決意を示した自省の言葉である。ベートーヴェンに学ぶこと、それが詩人私の信条だった。

 第四聯の「煦々として」は、「おだやくに柔かく」という意味で使った。

 

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存 在 

 

しばしば私は立ちどまらなければならなかった、
事物からの隔たりをたしかめるように。
その隔たりを充填する
なんと幾億万空気分子の濃い渦巻。

きのうは此の高原の各所にあがる野火の煙をながめ、
きょうは落葉の林にかすかな小鳥を聴いている。
十日都会の消息を知らず、
雲のむらがる山野の起伏と
枯草を縫うあおい小径と
隔絶をになって谷間をくだる稀な列車と‥‥‥

ああ たがいに清くわかれ生きて
遠くその本性と運命とに強まってこそ
常にその最も固有の美をあらわす事物の姿。
こうして私は孤独に徹し、
この世のすべての形象に
おのづからなる照応の美を褒め たたえる。

 


 もうここでは私は富士見に来ている。別荘のありかは長野県諏訪郡富士見町、中央線の富士見駅から北北西へ徒歩で約十五分のところである。終戦の翌年の秋十月、山も原野も森も耕地も、すべてが彼らの在るべき場所に広々と静かに横たわって、見渡すかぎり混乱もなければ紛糾もない。あるのはそれぞれの形象のまぎれもない存在感と、互いの個性の照らし合いの美だけである。それは新たに生きることを願いとする私の理想の世界だった。

 「たがいに清くわかれ生きて、遠くその本性と運命とに強まってこそ」の一句には、これもまた東京を去って岩手県花巻の田舎に一人住んでいる高村光太郎へのたよりの意味も含まれている。

 

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落 葉

 

ひろびろと枯れた空の下で
白樺や楡の葉」がたえまなく散っている。
一枚一枚が太陽に祝別され、
昔の色の空の青に
これを最後と染められながら。
ああ 没落の空間に幾変転して
その転身によこたわる秋の木の葉の美しさ。
世界じゅうの美術館や諸国の画廊の
静寂のなかでも散っている。

コンステイブル、ミレー、
テオドール・ルソーらの
不朽の画布や素描のなかで
きょうも散りやまぬ彼らの姿が永遠だ。

 
 

 私の住んでいる分水荘の森は広くて、樹木は無数、その種類も豊富だった。その中でもすべての広葉樹の葉という葉が、折からの晩秋を黄ゃ赤にもみじして、毎日の風に散るのだった。静寂の中に時おり響く小鳥の声と絶えまもない落葉の眺め。それが今ではほとんど忘れられた昔の画家の名とその作品とを私になつかしく思い出させた。

 「美しい」かどうかは知らないが、「没落の空間に幾変転して、その転身によこたわる秋の木の葉」は同時に私の姿でもあった。

 

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夕日の歌

 

夕日のひかりの最後の波が
いま高原の樅の岸べを洗っている。
周囲の山々にはするどい霜の予感がある。
厳粛な きよらかな
海抜一千二百メートル。
たそがれは宝石のような山かいの湖の遠望。
エンガーディンのニイチェの事がおもわれる。

今夜すべてに解体と結晶とが行われるだろう、
すべてに秋の死と冬への転生とがあるだろう。
そして いつか この私にも
薫風の岩かどか森の泉の片ほとりで
私のツァラトゥストラやオルフォイスに
出遭う春の日があるだろう。

 


 

 八ガ岳の裾野の中でもかなり高い雀ノ森という残丘のような小山への遠足の帰りに、こうした夕日の眺めに出会った。北西に遠く諏訪湖の水がきらきら光り、振り向けばすぐ頭の上に兜のような八(やつ)の一峯阿弥陀岳が、まっこうから金紅色の落日を浴びてのしかかっていた。低地の村里にはもうたそがれの色が漂っているが、霧ガ峯、車山、守屋山などは、湖水を挟んでまだ明るく美しかった。そしてこの寒く厳粛で男らしい光景に何となくニイチェの名が思い出され、この「ツァラトゥストラ」の作者の特に愛したスイスの山村エンガーディンの夕日の時が想像された。と同時にギリシァの伝説上の歌い手で音楽の名手オルフォイスの事が、わたしのためにもやがて来るべき遥かな春の予感として脳裏をよこぎった。

 

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土 地

 

人の世の転変が私をここへ導いた。
古い岩石の地の起伏と
めぐる昼夜の大いなる国、
自然がその親しさときびしさとで
こもごも生活を規正する国、
忍従のうちに形成される
みごとな収穫を見わたす国。

その慕わしい土地の眺めが 今
四方の空をかぎる山々の頂から
もみじの森にかくれた谷川の河原まで、
時の試練にしっかりと堪えた
静かな大きな書物のように
私の前に大きく傾いてひらいている。

 

 山国の信州で、人は山の自然の強力な支配に従順であり、しかもそこから生活の知恵を生み出し、勤勉と忍耐と持久と好学の精神とを学び養う。富士見高原でもそうだった。そしてそれ故にこそ私は自分の住む土地と人々とを愛さずにはいられなかった。とは言えまだ新参者の私である。見なければならない物、知らなければならない事がこれから先いくらでもある。してみれば今このように眼前にしている広大な土地の眺めは、私にとってずっしりと重い大きな貴重な本にも等しい。思えば心強くまた楽しいことである。

 

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秋の日

 

そしてついに玉のような幾週が来る。
夏の醗酵をおわった自然は
おもむろにまろく熟して安定した層になり、
きょうの秋の日には下ほど濃く、
上へゆくほど晴れやかにすきとおって、
かろく きらきらと
うっとりと 甘く 涼しい。
山にかこまれた此の地方は
あたかも震えるふちを持った
薄い大きな杯のようで、
快美な秋は流れて隣る国々への祝福となる。
しかしその喜びには深くまじめなものがあり、
酔いそのものも健康で、
充実した仕事の毎日が彫塑的だ。

 
  

 すきとおるばかりに澄んだ秋が毎日つづく。日に日に輪郭のはっきりしてくる遠近の山脈の限空線。華やかにもみじしてゆく野山の草木。それを暖かに照らす太陽とそよ吹く涼しい西の風。今は賑やかな繁茂の時がすぎて静かな成熟の季節である。すべての物にそれ自体の重みが増し、好ましい味がつき、真実頼もしい健康さが感じられる。

 農夫たちは取り入れに忙しく、私も自分の仕事にいそしむ。詩や文章を書くにも翻訳をするにも張り合いがあり、それらが一つずつ形を成してゆくのが嬉しい。物の造型とその成就。私のような詩人にとって、その喜びは美術家や酒造りのそれに通じるように思われた。

 

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 短  日

 

枯葉のような旅の田鷸が                  (田鷸 たしぎ)
ちいさい群になって
丘のあいだの冬の田圃におりている。
こんな日には風景一帯に
真珠いろの寒い光がぼんやり射し、
どこからともなく野火の煙がにおって来る。
こんな日には又よく銃の音がひびいて
田圃の田鷸を電光形に飛び立たせる。
そして思わぬ処から 旋風の渦のように
舞い上がる花鶏の大群がある。               
(花鶏 あとり)

 


 

 日の短かい高原の冬の田圃に、この季節にだけ見られるタシギとアトリの下りているのを書いた。タシギは春と秋とに日本を通る旅鳥で、アトリは十月頃から渡って来て五月には姿を消す冬鳥である。いずれも翼の力が強くてその飛び方はすこぶる速い。しかしそれぞれ大小の群れなってひっそりと餌をあさっている彼らを、荒寥とし冬景色の中で見出すのは思いもかけぬ喜びである。俳人ならばこんな光景をどう詠むだろうか。

 

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朝のひかり 

 

朝々の白い霜のうえに
人に知られぬ貧しい者らの
夜明けのいとなみを物語るような
ちいさい足あとを見出す土地に私は生きる。

はだしの雉は富まないし、
旅のつぐみはあのように痩せて赤貧だ。
それに見よ、けさもまた
山の伐採地からあの小娘がおりて来る。
貧しさのおさない王女のように、
拾いあつめた枯枝を背に
霜を踏んでよろめいて来る。

私は彼等とそのひそやかな生をわかつ。
少女も、鳥も、
悲しげな彼等は遠くまじめで、
近づけばしんそこは快活で、
ひろびろと撒きちらされた真実を
枝だとしては軽くつかみ、
粒としてはこまかくついばむ。

冱寒の地にも遠い春のように咲きながら、         (沍寒 ごかん)
孤独に 純に
みずからをちりばめる彼等の上を、
ああ 冬の赤貧のためにいよいよ広く神々しい
朝々の空が大河のように青く流れる。

 

 

 氷点下十度を測る毎朝の霜を踏んで私のする日課の散歩。その厚い真白な霜の上には必ずなにか小さい獣か野鳥の足跡がついている。彼らは私よりもずっと速く起きて、自分たちの生きてゆくために、食うために、この高原の道や畑を歩いたのだ。そしてこの小娘の可憐な足跡にしてもそうである。幼い彼女の朝の日課は私のするような散歩ではなく、親から命じられた枝集めの労働なのだ。それを憐れみ悲しむな、私の心よ!むしろ彼らを賛美するがいい。そして彼らのために、彼らと共に、霜の荒野の教会で歌うコラール(衆讃歌)を書くがいい!

 

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十一月

北のほう 湖からの風を避けて、
こゝ枯草の丘の裾べの
南の太陽が暖かい。
ぼんやりと雪の斜面を光らせて
うす青く なかば透明にかすんだ山々。
末はあかるい地平の空へ
まぎれて消える高原の
なんと豊かに 安らかに
絢爛寂びてよこたわっていることか。

もしも今わたしに父が生きていたら、
すでにほとんど白いこの頭を
わたしは父の肩へもたせるだろう。
老いたる父は老いた息子の手をとって、
この白髪 この刻まれた皺の故に
昔の不幸をすべて恕してくれるだろう。            
(恕して ゆるして)
するとわたしの心が軽くなり、
父よ五十幾年のわたしの旅は
結局あなたへ帰る旅でしたというだろう。

しかし今 わたしの前では、
朽葉色をした一羽のつぐみが
湿めった地面を駆けながら餌をあさっている。
むこうでは煙のような落葉松林が
この秋の最後の金をこぼしている。
そして老と凋落とに美しい季節は
欲望もなく けばけばしい光もなく、
黄と紫と灰いろに枯れた山野に
ただうっすりと冬の霞を懸けている。

  

 

 富士見高原の自然の中に新らしい生を求めながら、しかし私はもう六十歳に近かった。それで何かにつけて今は亡い父を思い出すことが多くなり、その度に彼にとって必ずしも善い息子ではなかった若い頃の自分が悔やまれた。今となってはもう間に合わないが、また事実としてそんな事が出来るわけも無いが、せめて夢想の中ででも老父の腕に身をもたせて宥しを乞い、子供として甘えたかった。そしてこの初冬の丘のように美しく寂び、悠々と老いて、彼の一生あずかり知らなかった、それでも彼がほほえみうなずいてくれるような善い仕事を、なおしばらくは許されるであろう命のうちに成しとげたいと思った。

 

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雨氷の朝

 

終日の雪に暮れた高原に
夜をこめて春のような雨が濛々と降った。
すると雨は夜あけの寒気に凍結して、
広大な枯野幾里の風景を
かたい透明な氷のフィルムでくるんでしまった。

まるで一夜の魔法にかかって
きらきらと痺れたような今朝の自然、
白樺は玉のすだれも重たげに
微風にゆれて珊々と空に鳴るかと思われ、        
 (珊々 さんさん)
朝日をうけた落葉松は
繊維硝子の箒のように
まっさおな空間を薄赤く掃いている。
どんな小枝も一本のこらず玲瓏と磨かれ、
枯草の葉っぱさえ一枚一枚
氷の真空管に封じこまれた。

そして万能の自然がたった一夜でつくり上げた
こんな燦爛世界を嬉々として歩き廻れば、
ルビーかサファイアの薄板を張りつめたような氷の面は
鋭い金かんじきの下にぱりぱりとひび割れて、
薔薇の花がたや幾何図形の
虹のスペクトルを噴くのだった。

 


 

 冬には雨氷の現象がしばしば見られて朝の散歩の目を喜ばせた。薮も林も木々の枝という枝がすべて透明な氷に包まれて、まるで鋭い槍の穂先をつらねたようだった。
 初めのうち私はこれを「花ボロ」だの「木花」だのと呼ばれる霧氷と同じ物のように思っていたが、だんだん調べているうちに両者の違いがわかった、霧氷には過冷却した霧の粒が地物に接して氷結した無定形な氷層から成るものと、氷点下に冷却している地物に水蒸気が付着して美しい六方晶形の結晶を作ったものとがあるが、雨氷のほうは比較的温暖な上層の空気中で生じた雨滴が氷点下の温度をもった下層の空気中を通過する際に、凝結をしないで過冷却のまま地表に達し、樹木その他に接触してその周囲に氷結したもので、透明で結晶形を持たないのがその特徴である。
 こんな時には地面の低い処もまた氷の板のようにつるつるなので、詩にもあるとおり、金かんじき(アイゼン)をつけて歩かなければならなかった。

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春の牧場

 

あかるく青いなごやかな空を
春の白い雲の帆がゆく。
谷の落葉松、丘の白樺、
古い村落を点々といろどる
あんず 桜が 旗のようだ。

ほのぼのと赤い二十里の
大気にうかぶ槍や穂高が
私に流離の歌をうたう。
牧柵や 蝶や 花や 小川が
存在もまた旅だと私に告げる。

だが 緑の牧の草のなかで
風に吹かれている一つの岩、
春愁をしのぐ安山岩の
この堅い席こそきょうの私には好ましい。

 

 
 

 長かった冬が漸く終ると、山国信州には潮のようにどっと春が押し寄せて来る。どこの部落にも桃や桜や梅や杏子が一時に咲いて、ついにこの間まで裸だった木々はもう柔かな緑の若葉にくるまれている。いろいろな小鳥の歌が賑やかに、頭上の雲も帆のようだ。
 別荘の持ち主が経営している小さい牧場の丘のてっぺんに立つと、北西の空を遠く、まだ雪を光らせている北アルプスの槍や穂高や常念の頭が見える。みんななじみの山々だ。私はうっとりと過去を思い、しみじみと現在の自分を考える。そしてともすれば甘い感傷に陥ろうとする気持を引き立てるように、堅くて冷めたい安山岩にしっかりと臀を据える。

 

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夏の小鳥が‥‥‥

 

夏の小鳥がふるさとの涼しい森や緑の野へ
ことしもまた遠い旅から帰って来る四月の末、
高原の村々では農家の暗い家畜小屋で
山羊や牛や馬たちのお産がある。

産はたいてい神秘な夜のあけがたに行われる。
人間と同じように重いのもあれば軽いのもある。
ひどく重いのは人が手を貸してやらなければならない。
それにしても 一晩じゅう気懸りで何となくそわそわしていた女達や子供達の
その朝の優しい感動が深く私の心をうつのだ。

彼等は小屋の前へ立ったりうずくまったりしながら、
今しがた此の世へ着いたばかりで
まだびしょびしょに濡れて震えている幼いものを
せつない愛とあわれみの面持でじっと見ている。
母のけものもまだ興奮から醒めきらず、
おどおどしている仔を頬や舌で荒々しく愛撫する。
そういう時はたいてい庭の片隅に
あんずや桜の初花が咲き、
ういういしい朝日の光とあおあおとした空気の中で
夏の小鳥たちが声をかぎりに鳴きしきっている。

私は思うのだ、
こういう田舎の牧歌的な 厳粛な美を
あの貧しくて偉大な画家ミレーこそ
誰よりもいちばんよく知っているのだと、
然しミレーの如きは今ではほとんど忘れ去られ、
もうこんな原始の感動を
多くの人々は思い出してみようとすらしないのだと。

そして私は心ひそかに歎くのだ、
もしもそれが世界の流れの勢いだというのなら
実り多い真実は日ごと僻遠に退いて
地上のおおかたはやがて不生女となるだろうと。        
(不生女 うまずめ)

夏の小鳥が生まれ故郷の
森や野へ帰って来る四月の末、
田舎の農家の家畜小屋では
山羊や 牛や 馬たちのお産がある‥‥‥

 

 親しい農家へ馳走によばれて、一晩泊まって、運よくもこんな光景に出会った事が一、二度ある。そして深い感動に値するこの経験は、田舎を愛しながら都会で生きて来た私にとっては、真に珠玉とも言うべきものだった。
 私は青年の頃からフランスの画家ミレーを愛し、今でもなお彼のバルビゾンでの数多い作品を愛している。その愛はロマン・ロランの著書「ミレー」に端を発したものだが、今ではもうあの美しい本を手にする人もほとんど無く、ミレー画を云々する人さえ皆無だと言える。古い甘美な田舎臭い情緒、時代遅れ。そういうのが軽薄なこんにち大手を振ってまかり通っている定評らしい。しかし鶏たちに餌をやっている「農夫の妻」や、「羊の毛を刈る女」や、よちよち歩きのわが子を太い両腕をひろげて迎えている「第一歩」や、満月の昇る水べの「水汲み」などが、その牧歌的な美と、生活への帰依と、宗教的な根源の思想とで、なんと今でも私の心を打つことか!

 

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薄雪の後

 

まっさおな空をふちどる山々の線の上に
なにか美しい錯誤のように
けさ早く うっすりと雪が懸かった、
昼間の月の色よりもあわい
抽象的な 比喩のような
秋の雪が。

しかし やがてきっぱりと
明快で率直な午前が来た。
十月最初の嬉々とした土曜日、
谷間の村から運動会ののろしが揚がり、
もう雪の消えた青い高山の前景に
つよく 赤ぐろく炸裂する。

 


 高原はまだ紅葉が盛りの秋だというのに、朝起きて来て見ると八ガ岳も釜無の山々もうっすりと雪の化粧をしていた。夜半に通過した弱い不連続線の置き土産だろうが、それでも今年の初雪である事に違いはない。私は富士見の町を通って釜無川の谷の武智鉱泉への散歩の途中、この薄雪の印象をどういう文句で表現したらいいかと思案にふけった。そしてふさわしそうな言葉が心に浮かぶたびに立ちどまって、ポケットのノートへ走り書きして、ともかくもこの第一聯の原案を得た。後になって少しばかり筆を入れたのは勿論の事だが。

 

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石を載せた屋根を段々にならべて
封鑞のように赤い柿もみじの間から
ちらちらと白壁をひからせた古い村、
そこに二つの谷の落ち合っている山麓の村。

小学校の庭では運動会のプログラムが
拡声機のひびき ピストルの音
子供らの幾百の歓呼の声に賑わって、
万国旗のはためく下で進んでいる。

きょうは招待のあるじである私たちの国の旗よ、
なんとそれが谷間の風の起き伏しに
他の国の旗たちと同じ願望 同じ善意を
のべたり歌ったりしていることだろう。

 

 
 

 これは前の詩「薄雪の後」の第二聯に出て来る谷間の村の学校の運動会を書いたもので、中心となる物はやはり題のとおり校庭に翻っていた万国旗への感慨である。
 私は散歩の途中ノロシやピストルの音を聴くと、武智鉱泉の方へ行くのをやめて、瀬沢部落から左へ立場川に架かった橋を渡って落合村机の部落へ行った。そこの学校へは一、二度子供たちのために話をしに行った事もあるので、校長を初め先生たちにも幾人か見知りの顔があった。私はむりやり来賓席に坐らされた。詩はその時の事を張り渡された旗を中心に書いた物だが、どう欲目で見ても凡作の域を出ないようだ。

 

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冬のはじめ

 

黄ばんだものが黄いろくなり
赤いものが紫にまで深まって
日ごと木の葉のからからと散りつづく秋の林に、
私のしずかな仕事の昼と
きつつきの孤独のいとなみとが
世の中からいよいよ遠く
いよいよひろびろと淳朴になる。

大きなむなしさの中に明るく努めて、
探求の重くちいさい鎚をひびかせ、
つねに傾聴の心をひそめながら、
他の地平線にはあこがれず、
おおかたはこの西風と遠い南の太陽に、
十月の木々のひろがりを生きている。

 

 

 

 私はわずらわしくて利己的で醜い事の多い都会を後にここへ来た。高原のここには自由と孤高の精神を歓んで迎える雄大な天地があった。仕事も毎日規則的に出来、本も読め、好きな自然観察も無限に豊かな材料を前に思うがままだった。妻と二人、新婚の頃を思い出して少しばかり畑仕事もやった。昔ほどではないが鶏も飼い、花も作った。閑雅の中にも充実した日々。これ以上の生活はとうてい考えられなかった。
 広大な森の中、家のすぐ近くのコメツガの大木に、一羽のアカゲラが巣を造っていて、それが毎日コツコツと音を立てては金鎚のような嘴で穴を掘っていた。私はこの美しいキツツキの勤勉な仕事ぶりと、孤高を持した雄々しい生活の姿に深く心を動かされた。それ故この詩の第二聯では、私とこのアカゲラとがもはや分かちがたいものになっている。

 

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本 村

 

花崗岩の敷石づたいに
赤や黄色や紫にひらひら燃える松葉牡丹。
深い井戸から若く美しいあなたが汲んで
盆にのせて出してくれたコップの水は、
噛めば歯にしみる氷のように霧を噴く。

清潔な牛小屋と厚い白壁の土蔵とのあいだに
翼のような葉を垂らした
大きな青い胡桃の樹が一本、
そのむこうにこの山国の八月の空が
海のようにひろがっている。

私はあの玉虫いろの空の下から
遠く炎天の道を散歩して来た。
そしてあそこの 私の家のある高原にも、
この村から満州へ分村して
敵に追われて無一物で逃げ帰って来た百姓たちが
開拓の汗を流して新らしい村作りを初めている。

そして在る日私を呼びとめて、
見事な西瓜を畠からもいで、
私に抱かせてくれた女の人は、
やはりあなたと同じ苗字を名乗っていた。

 

 

 

 海抜1000メートルに近い高原でもさすがに暑い八月の炎天下を、汗を垂らし喉を渇かせながらいつものように散歩している時の若宮部落での事を書いた。私の住んでいる処は同じ富士見でも駅の北側で言わば八ガ岳の裾野の末端だが、若宮は南側で木ノ間や松目の部落同様、むしろ釜無山系入笠山の麓とも言うべき位置にある。駅のあたりは地理学者のいわゆる「富士見峡隘」だから、私のところとこの若宮とは、中央線の通っている比較的低地を挟んでほぼ南北に遠く向かい合っている事になる。
 満州国の出来た時には、国の方針に従ってこのあたりからも多くの農家がかの地へ入植のために移住した。そして国が戦争に敗れると運の好い連中は一切を破棄して命からがら逃げ帰って来たが、一旦手放した以上もう郷里に住む家もなく働くのに田畑もなかった。それでも元気を奮い起こし心を一つにして、別荘の西、ビヤグリの沢のむこうの尾根を越えた広い荒れ地の開拓にとりかかった。私の家から程近い富岡という新らしい部落がそれである。或る日私に西瓜をくれた中年の女性もその開拓地の人の一人で、以前は多分この若宮に住んでいたのであろう。丁重にコップの水をくれた若い娘と同じ細川の姓を名乗っていたというわけである。

 

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夏野の花

      ヘルマン・ヘッセの「回想」Ruckgedenkenへの変奏曲

 

神のおおきな園のなかで
枯れる喜びを知る花に悔いは無い。
ひかりかがやく生の滿溢に咲ききって、
人知らぬまにひとりの運命を成就する。

惜しまれることを期待もせず、
思い出される明日を願いもしない。
生きる喜びを大空のもとに滿喫した身が
今はた浅いなんのなさけを求めようぞ。

すでに咲き消えた野薔薇 野あやめ うつぼぐさ、
しかし神の花ぞのはきょうも多彩だ。
涼しい夕べを待宵草の黄の群衆、
深遠な正午を昼顔の花の紅いさかずき。

はやくも秋めく青い木の間を                  (木の間 このま)
ふと白樺のわくらばは横ぎるが、
晴れやかな無常の波にうつろいながら
無垢の面輪を夏野にうかべる花の泡よ。             
(面輪 おもわ)

 


               ヘルマン・ヘッセに「回顧」という美しい詩がある。私は以前か
              らその詩が好きで自分でも翻訳をした事があるが、富士見へ来てか
              ら或る時その詩を土台にして且つそれに答えるように、音楽で言う
               変奏曲を書いてみた。ヘッセのはこうである。

 

                   回 顧

                 山腹にはヒースが咲き、
                 えにしだが褐色の箒のようにちぢかんでいる。
                 五月の森がどんなに綿毛のように緑だったかを
                 今日なお誰がおぼえているか。

                 つぐみの歌や郭公の叫びが曽てどんなに響いたかを
                 今日なお誰がおぼえているか。
                 あんなにも魅力的に響いたものが
                 もう忘れられ、歌い去られた。

                 森の中の夕べの宴、
                 山上高く懸かった満月、
                 誰がそれを書きとどめ、誰がそれをひしと抱いたか。
                 すべてはもう消え失せた。

                 そしてやがては君についても私についても、
                 知る人なく、語る人もなくなるので。
                 別の人たちがここに住み、
                 私たちは誰にも惜しまれはしないだろう。

                 私たちは夕べの星と
                 最初の霧とを待つことにしよう。
                 神の大きな園のなかで
                 私たちは喜んで咲き、そして咲き終わるのだ。

               そして言うまでもなく私の変奏曲は、神の知ろしめる夏の高原
               に咲いては消える花々に託して、偽りない自分の心境を告白した
               ものである。


 

或る晴れた秋の朝の歌

 

又しても高原の秋が来る、
雲のうつくしい九月の空、
風は晴れやかなひろがりに
オーヴェルニュの歌をうたっている。

すがすがしい日光が庭にある、
早くも桜のわくらばが散る。

筵や唐箕を出すがいい、
ライ麦の穂をきょうは打とう。

名も無く貧しく美しく生きる
ただびとである事をおまえも喜べ。
しかし今私が森で拾った一枚のかけすの羽根、
この思い羽の思いもかけぬ碧さこそ
私たちにけさの秋の富ではないか。

やがて野山がおもむろに黄ばむだろう、
夕ぐれ早く冬の星座が昇るだろう。
そうすると私に詩の心がいよいよ澄み、
おまえは遠い幼い孫娘のために
白いちいさい靴下を
胡桃いろのあかりの下で編むだろう。

 


  フランスの作曲家カントルーブが収集し編曲した民謡集『オーヴェルニュの歌」を私は以前から好きだった。オーヴェルニュというのはフランス中南部の火山ピュイ・ド・ドーム、モン・ドール、カンタルなどを中心とする高くて広い一大山地帯の総称で、日本の地理学の古老辻村博士はこの地方を「フランス中央台地」と呼んで殊のほか愛された。私はそのオーヴェルニュに古くから伝わっている数多い民謡の中でも、哀調を帯びてしかも剛健な幾つかの羊飼いの歌を特に好きだった。毎年自然が漸く秋の色に変って来る頃、私はまずこの歌を心に浮かべて山や高原への憧れを募らせたものである。そして今やその高原に居を定めて、文学の仕事のかたわら馬鈴薯や豆やライ麦など、ささやかな畑仕事もやっている私たち夫婦だった。
 無名でも貧しくてもそんな生活を正しとして心豊かに生きている或る秋の朝、森の中で一枚のカケスの羽根を拾ったのである。「思い羽の思いもかけぬ碧さこそ」の思い羽とは、一般に鳥類の尾の両脇に装飾のように顕著な色をしている羽根の事で、ここでは実相を描くと同時に掛け言葉の役割りも果たさせている。
 「遠い幼い孫娘」というのは、上諏訪の病院で生まれてしばらくここの私達のところで育てられていた美砂子の事だが、その頃はまだ二歳で東京の両親のもとへ帰っていた。また第三聯の「名も無く貧しく美しく」の句は、この詩が出来てから約十年後、切に望まれて或る映画の題名になった。

 

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雪に立つ

 

雪が降る。
北山おろしに暗く濛々と吹きけぶり、
又しばらくは息をついて明るく霏々と、        
 (霏々 ひひ)
雪は信濃の山野に降る。

わたしはスキー帽をすっぽりかぶり、
ウィントヤッケに身を包んで、
天地をこめる此の結晶の流れに巻かれて立つ。
白くかすんだあの山麓の村々に、
暗く吹き消されたあの谷底の部落に、
忠良 治久 巌 正人 
文恵 いさ子 寿子 ゆわえ、
それぞれに強く賢く美しい若者らが
春を待ち 冬に営んでいる姿をおもう。
わたしをして老いぼれしめず、
夏の山畑 秋の田圃で
わたしを迎える彼らの熱い親しい手の
あの霊妙な青春の放射をおもう。

雪は縦に降り、横なぐりに降る。
寂寞としてただ白い嵐の
海のような真冬の高原。
雪はわたしのまつげに溶け、まぶたに煮える。

 
 

 

 とちノ木の忠良、松目の治久、巌、正人、文恵、いさ子、瀬沢の寿子と木ノ間のゆわえ。二十何年前のその頃はまだ独身の青年男女だったのが、今ではもうそれぞれ立派な家庭の主人であり、幾人かの子供の親になっていることだろう。その彼らが私にとっては富士見時代の親しい農家の子弟だった。よく働いてぴちぴちしていた彼らは、その素朴さと純真さと健康とで、めいめいの父親よりも老いた私に若さを与えた。
 常のとは比較になたない烈しい雪降り、むしろ豪雪とも言うべき降りようだった。山も谷も吹き消すようなその雪の嵐の野に立って、こんな日にはみんな家にいて何をしているだろうかと私は思った。縄でも綯っているだろうか、藁沓でも編んでいるだろうか、針仕事でもしているだろうか。そんな想像を彼らの上に走らせながら、私の気持は感傷的であるよりももっと悲壮で逞しかった。なぜかと言えばこの大吹雪、この荒天は、私をしていよいよ私たらしめようとする自然の容赦ない試みだったから。だから睫毛に溶ける雪も瞼に熱く煮えたのだ。

 

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足あと

 

けさは 森から野へつづく雪の上に、
堅い水晶を刻んだような
一羽の雉の足あとを見つけた。
それで私の心が急にあかるくなった。

雪と氷の此の高原の寒い夜あけに
あの雉という華麗な 強い 大きな鳥が
ほのぼのと赤らんで来る地平のほうへと
野性の 孤独の 威厳にみちた
歩みをはこぶその姿を私はおもった。
それを想像するだけで
もう私の今日という日が平凡ではなくなった。
なにか抜群なものと結びついた気がした。

鑿で切りつけたような半透明な足あとが        
(鑿 のみ)
雪のうすれた流れのふちで
いくつもいくつも重なっていた。
雉は去年の落葉の沈んでいる此の高原の
一月の青いつめたい水を飲んだにちがいない、
金属のような光をはなつ
藍いろの頭と 緑の首と
あざやかな赤い顔とを静かに上げて、
冬が裸にしたはしばみの薮かげで、
なみなみと。

それならばいよいよすばらしい。
私の心には 氷雨の時を時ならぬ花が咲いた。
一望の白くさびしい雪の曠野で、
私の生きる人生が
豊かな 優しい おごそかなものに思われた。

 
 

 新しく降った雪の上にはいろいろな動物の足跡がついている。それを捜して歩いてカメラに収めたり、ノートへスケッチしたりするのは冬の楽しみの一つだった。その中で兎や野鼠のははっきりした特徴があってすぐわかるが、マヒワだのホオジロだの、アオジだのノジコだののような小さい鳥達のものになると、私などにはもう種類の見分けがつかない。しかしこういう連中のはいかにもこまかで、綺麗で、愛らしい。
 ところがキジのは違う。ニワトリのに似てはいるが、ニワトリがこんな高原の積雪の中へ一人で遊びに来るはずは元より無く、キジの姿ならばこの森でもよく見かけるし、あの「ケーン、ケーン」という鋭い叫びも時どき聴くから万が一にも間違いはない。いつも孤独で、華麗で、男らしいキジという鳥の足跡を、朝まだ早い水辺の雪の上に発見したのだから、その姿を想像しながら私の感動は静かだが深かった。

 

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雪の夕暮

 窓をあけてお前は言う、
「また雪が降り出して来ました。
この雪はきょう一日 今夜一晩降つづいて、
いよいよ私たちを世の中から
遠く柔らかく隔てるでしょう」と。

遠く、そして柔かく‥‥‥

ほんとうにお前の言うとおりだ。
もしも此の世を愛するなら、
その美をめで その貴いものを尊ぶなら、
私たちはそれを手荒く扱つたり 弄んだり
なれなれしくそれと戯れてはいけないのだ。
つねに柔らかく接して、別れを重ねて、
私たちの愛や讃美や信頼の心を
ながく新鮮に保たなければならない、
もしも自然や人生や芸術から
生きる毎日の深遠な意味を汲もうと願うなら。

お前はいう、
「もう向うの村も見えなくなりました。
こんなに積もってゆく大雪では
あの娘たちも今夜は遊びに来ないでしょう」と。

そして私はいう、
「今夜は久しぶりでシュティフターを読もう。
それともカロッサにしようか」と。


              「お前」というのは勿論私の妻の事で、彼女は時どきこんな思い入
              ったような殊勝な言葉も洩らすのである。又別の時の事だが、「お
              ばあちゃんのお墓の上で、春が三度目のリボンをひるがえしていま
              す」などとも言った。おばあちゃんとはそれより四年前に死んだ私
              の母の事である。
               私たち普通の人間は大抵この世の毎日の生活や目にする物に馴れ
              っ子になって、心情の上でも木目荒く粗雑に生きている。本当は常
              にいくらかの隔たりを保って人間や世界に接しながら、あたかも長
              い病いから癒えた者のような感謝の念と新鮮な気持とで生きてゆく
              べきではないだろうか。馴れればういういしかった初心も失われ、
              真実や美にも鈍感になり、尊重すべき人生に対して、悪く言えば、
              「すれっからし」になってしまう。
                私たち夫婦はこういう心で、オーストリアの作家シュティフター
               やドイツのハンス・カロッサの書いた物を戦前から尊び愛してい
               た。それ故か「遠く柔らかく」の一語が契機となって、折も折、誰
               も遊びに来ない雪降りの夜を、久しぶりに彼らの『さまざまな石』
               か『指導と信従』でも一緒に読もうという気になったのである。

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春の彼岸


山々はまだ雪の白いつばさを浮かべて
三月の空の中ほどに懸っているが、
早春の風はすでに柔らかにあおあおと
水のほとりのはんのきの裸の枝と
その長い花の房とを咲きめぐっている。

草木瓜の赤、たんぽぽの黄がここかしこ。           (草木瓜 くさぼけ)
しかしおおかたはまだ枯草の丘の墓地に
蒼く苔むした古い墓石、
かずかずの新しい白木の墓標、
いつくしみと忘却とは其処に優しく息をつき、
春の哀愁はほのぼのとあたりに漂う。

煩惱の流れをあえぎ渡って、
久遠の国の岸辺から
此の世をいとおしむ俤らのなつかしさ。
しかし人はまだ幻滅と塵労との日を営々と生きて、
ただ今日のような早春の山の光や花や風に
たまたま悲しくも清らかな
平和への誓いの歌を聴くばかりだ。


作業中

 


早春の道

 

「のべやま」と書いた停車場で汽車をおりて、
私の道がここからはじまる。
高原の三月、
早春のさすらいの
哀愁もまた歌となる
さびしくて自由な私の道が。

開拓村の村はずれ、
年若い母親と子供二人に山羊一匹、
薄あおい大空 雪の光のきびしい山、
まだ冬めいた風景の奥に
遠く消えこむ枯草の道。
これが私に最初の画だ、歌のはじめだ。

私はこの画の中にしばしとどまる、
この牧歌にしばし私の調べをまじえる。
清らかな貧しさと愛のやわらぎ、
これが私たちのけさの歌だ。
第一歩の祝福がここにあり、
私のさすらいがここからはじまる。

 

 

 

 待ち兼ねていた春が漸くその気配を見せたので、或る朝早く富士見から汽車に乗って八ガ岳の東の裾野を、昔書いた「念場ガ原と野辺山ノ原」への遠足に出かけた。近くは権現や赤岳、遠くは奥秩父の金峯山や南アルプスの雪の峯々を眺めながら、野辺山の広大な白樺林を歩き廻ったり、美ノ森へ登ったりして、晩くなったら清里の何処かへ泊まってもいいという至極のんびりとした遠足だった。
 早春は私にとって何か知らぬが心に哀愁を覚える季節である。それも場所が山や高原のような自然の中だと特にいちじるしい。元来哀愁には常に或る種の美の要素が含まれている。その美は私の場合詩につながり音楽につながる。或る音楽のえもいえず美しいラルゲットやアダージョを聴いている時、それはいつでも私を喜ばせる歌であると同時に哀愁の歌でもある。そしてそれが此処では野辺山の原の三月の自然の景観であり、開拓村の若い農婦とその子供たちと彼らの一匹の山羊だった。私が自分をもまたその画中の一点景に加えたのは果たして僭越の沙汰だったろうか。しかしたとえそうであっても、伸びやかにすんなりと出来たこの詩は、このまま永く一人でそのさすらいを続けるだろう。

 

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復活祭

 

木々をすかして残雪に光る山々が見える。
木はきよらかな白樺 みずき 山桜、
まだ風のつめたい幼い春の空間に
彼らの芽のつぶつぶが敬虔な涙のようだ。

枯草の上を越年の山黄蝶がよろめいて飛ぶ。        (越年 おつねん)
森の小鳥が巣の営みの乾いた地衣や苔をはこぶ。
村里の子供が三人竹籠をさげて、
沢の砂地で青い芹を摘んでいる。

萌えそめた蓬に足を投げ出し、
赤や緑に染められた今日の卵をむきながら
やわらかな微風の波を感じていると、
覚めた心もついうっとりと酔うようだ。
人生に覚めてなお春の光に身を浮かべ、
酔いながら生滅の世界に瞳を凝らす。
その賢さを学ぶのに遠くさすらった迷いの歳月!
思えば私にとっても復活の、きょうは祭だ。

 

  

十字架上の死から蘇ったキリストの復活をことほぐ復活祭は、毎春分後の満月直後の日曜日という事になっている。私たちは元々キリスト教徒ではないが、心にはその教えの真理が深く刻みこまれているので、いつからともなく夫婦共々この春の一日を祝っている。そして富士見へ移ってからもその習慣は変らなかった。今朝も小さなオルガンを弾きながらこの日のための讃美歌を合唱し、その由来は知らないが例のとおり卵を美しく彩った。
 復活祭は年によって三月中のこともあれば四月に入ってからのこともある。しかしいずれにしてもそれが春の行事なのが心楽しい。さまざまな経験の中を迷いさすらって今ははっきりと覚めた目と心が、在るがままの世界を見つめながらもそれを容れ、それを愛して、なお積極的に生きようと誓うのにふさわしい春なのが喜びだ。折からの木々の新芽、営巣をはじめた小鳥、芹を摘む子供たち、それを囲む残雪の山々。これこそ天地広々と明けはなたれた教会での祝いである。私の心は静かにバッハを歌っている。

 

 

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杖突峠

 

春は茫々、山上の空、
なんにも無いのがじつにいい。
書物もなければ新聞もなく、
時局談義も とやかくうるさい芸術論もない。
頭をまわせば銀の残雪を蜘蛛手に懸けた
青い八ガ岳も蓼科ももちろん出ている。
腹這いになって首をのばせば、
画のような汀に抱かれた春の諏訪湖も           
(汀 みぎわ)
ちらちらと芽木のあいだに見れば見える。
木曽駒は伊那盆地の霞のうえ、
槍や穂高の北アルプスは
リラ色の安曇の空に遠く浮かぶ。
それはみんなわかっている。
わかっているが、目をほそくして 仰向いて、
無限無窮の此のまっさおな大空を
じっと見ているのがじつにいい。
どこかで鳴いているあおじの歌、
頬に触れる翁草やあずまぎく、
此の世の毀誉褒貶をすっきりとぬきんでた
海抜四千尺の春の峠、
杖突峠の草原で腕を枕に空を見ている。

 

 

 杖突峠は中央線茅野駅から南西四キロのところにあって、高さは一二四七メートル、諏訪盆地から遠く伊那の高遠へ通じている杖突街道の、言わばここはその入り口である。頂上の草原からの眺望は詩にも書いたとおり実に美しく晴れやかに雄大だから、春や秋の好季節には私も近道をしたりわざわざ遠廻りをしたりして度々ここを訪れた。今では茅野から高遠通いのバスも通っている。しかしこの詩はまだそんな物の無い時に出来た。
 諏訪湖をとりまく幾つかの町は頸飾りの玉かとばかり下の方に連なって見えるが、それが東京などで経験する厭な事をまるで想わせないのが気に入った。たまたま聴こえるのはこの高みで歌っている小鳥の声、すぐ顔の前にはつつましやかな春の花。譏りも無ければ陥れも無く、不愉快な噂も陰口もここまでは伝わって来ない。腕を枕に真青な空を見上げて柔らかな草に寝ている一時の、このぽかんとした安らかな気持を何と言おう。

 

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夏 雲

 

雷雨の雲が波をうって
まくれるように遠ざかると、
その後からつやつやと目にも眩ゆい碧瑠璃の大空。
そして真赤な熱線を射そそぐ
七月高峻の太陽だった。

殘雪をちりばめ 這松をまとって
びっしょり濡れた大穂高の岩の楼閣、
青い宇宙のそよかぜに染まり、
それ自身天体のような峨々たるかたまり。
この現前の偉觀が人間私を圧倒した。

眼下をうがつ梓の谷に
なごりの霧は羽毛のようにもつれているが、
乾ききった安曇野は夕立の雲を集めて、
岩の幔幕 霞澤のかなたに
その雷頭が白金のドームのやうに輝いていた。

 


                    
               友人に誘われて上高地に行き。ついでの事に西穂高へ登った。途
              中で雷と驟雨に見舞われて面喰ったが、山荘で休んでいるうちに雨
              も上がり雷も遠ざかってすばらしい天気になった。そこでまた這松
              の間を登りはじめ、濡れて滑る幾つかの岩峯を攀じて遂に独標の頭
              へ立ったが、そこから見上げた雨後の奧穂高の目も覚めるような壮
              観はまったく私を圧倒した。人間のけちな思いも吹き飛んでしま
              い、肉体の卑しさも洗い浄められた気がした。
               眼の下には時ならぬ夕立に水嵩を増した梓川が銀の糸のように光
              って流れ、その涼しい水辺には今宵の泊まりの宿も見えた。しかし
              正面に峙つ霞沢岳のむこうには、今頃はちょうど安曇平を真暗に
              ているだろうと思われる壮大な無気味な雷雲の頭が、折からの午後
              の日光を受けて目にもまばゆく輝いていた。そしてこれこそ結集さ
              れた夏の力の象徴であり、高山に在って初めて得られる体験だと思
              った。

 

 


山 頂
    (ジャン・ジオノに)

 

一人一人手を握り合ってプロージットを言う。
どの手もさらさらと乾いたつめたい手だ。
堅いザイルやピッケルや
荒い岩角ばかりを掴んで来たあとで
血もかよっていれば電気のように心もかよう
実直で大きくて頼もしい人間の手がここにある。
放した瞬間に深い暖かみのほのぼのと生れる。
こんな握手が下界にはまるで無い。
海抜三千余メートル、
純粋無垢の日光に皮肉をつらぬかれ、
真空のような沈黙に耳しいた気がする。
何が成功で どういう事が敗北か、
きれいな顔の世渡りに
どんなきたない裏道があるか、
豁然と覚めた心が今無心の岩に地衣を撫でる。
がらがらに落ちた天涯の階段の
目もくらむ底はサファイア色の夏霞だ。
下山路は足もとから逆落としに消えて、
むこうに切り立つ白と緑の岩稜を
もう一ぺん天へからむ糸のように見える。
風が吹き上げて来る這松のにおい、
浮力に抵抗する重い登山靴、
うずくまっている者もパイプふかしている者も
みんな男らしくやつれて秋の顔をしている。

 
 

 フランスの現存の作家であり、手紙の上でも親しいジャン・ジオノに捧げたこの詩は、これもまた人に誘われて初めて北穂高へ登った時の作品である。営々として攀じ登って来た山のてっぺんで、まず「おめでとう」を言いながら握り合う男同士の手がどんなに頼もしいものであるかを書き、三時間余の大キレットの急登にさすがいくらかやつれの見える互いの顔が、どこか秋めいたものを感じさせるその美しさに焦点をしぼって書いた。
 戦争での勝利とは何か、敗北とは何か。他人を蹴落としてかち得た世間的な成功やその反対の失意に、そもそもどれだけの意味があるか。そんな事で喜んだり泣いたりするこの世が寧ろむなしく憐れなものに思われて来る高山の頂き。私は昂然と顔を上げ、純粋無垢な空気に深呼吸をし、改めて登山靴の紐を締め直し、さて心も新たに次の峯へと歩き出した。こんな気持はあのジオノならきっとわかってくれるに違いないと、ふとあの南フランス、マノスク・デ・プラトーの友人の事を、彼の傑作「世界の歌」や「真の富」を愛読した昔と一緒に思い出しながら。

 

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秋の漁歌

 

信州は南佐久、或る山かげの中学の
小使さんが私のために網打ちに行く。
千曲川もこのあたりではまだ若く、
古生層の大岩小岩
らいらいと谷をうずめて、
朝早い九月の水が浅々と流れている。
赤魚という鮠は川底の砂に腹をつけ、            
(鮠 はや)
おだやかに鰓をうごかし、
ひらひらと鰭をそよがせ、
また尾を曲げて靡くように泳いでいる。
小使さんの投網のさばき美しく、
岩の上から腰をひねってさっと投げれば、
網は朝日に虹を噴き、
まんまるく空に開いてばっさりと水をつかむ。
寒い河原には五位鷺が群れ 鶺鴒が囀り、             
(五位鷺ゴイサギ 鶺鴒セキレイ)
朝の青ぞらのあんな高みに
硫黄岳と爆裂火口があんぐりと口をあけている。
小使さんはそんな物には目もくれない。
ざぶざぶと水を渡って岩から岩へ乗りうつり、
川瀬の淀をじっと見据えて網を打つ。
私のびくは真珠いろとエメラルドの
ぴちぴちする魚でもう重い。
小使さんはゴールデンバットを短かくちぎって
首のつぶれた鉈豆ぎせるへ丁寧に挿しこむと、
「とれましたなあ、
これならばお土産になりやす」といいながら、
一息うまそうにぐっと吸う。
その言葉にうれしくうなずく私の目に、
ああ 千曲川の秋の河原のアカシアの
黄いろい切箔の葉がもうちらちら散るのである。

 


 富士見高原も片隅の森の中に住んでいるのに、よく頼まれて長野県内だけでも方々の学校へ講演に行った。遠くは野尻湖に近い俳人一茶の故郷柏原、佐久間象山の生地松代、木曽の谷間や伊那の山奥。空手の時もあれば書物やレコード持参の時もあり、文学や音楽の話もすれば自然観察の話もした。そしてこの南佐久郡穂積の村の中学校もその一つで、ここでは場所が場所ゆえ初めての八ガ岳登山の折の話をした。そして初秋の一夜を学校の宿直室に泊められて次の日の朝がこれだった。しかし事の始終はここに書いたとおりだから改まって註釈の必要もあるまいと思う。
 朝の青空高く真赤な爆裂火口を見せている硫黄岳がここからは一番近い八ガ岳の一峯であり、びくというのが取った魚を入れる一種の網袋であり、ゴールデンバットが今でも時たま見かける安い巻煙草であり、鉈豆ぎせるがこんにちではもう珍らしいものになったナタマメ形の金属延べ打ちのキセルであり、「秋の河原のアカシア」と「黄いろい切箔」のアとキとがそれぞれ意識的に用いられた類音である事などは、或は余計な説明であるかも知れない。それにしても小使さんのその「おみやげ」の味こそはすばらしかった。

 

 

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農場の夫人
    
(渡辺春子夫人に)

 

お天気つづきの毎朝の霜に
十一月の野山がひろびろと枯れてゆく。
高原の空は無限に深く青くなり、
浅い流れは手も切れるほど冷めたく、
太陽の光が身にも心にもしみじみと暖かい。
あなたは開拓農場の片隅に
秋のなごりの枯葉をあつめて
ほのぼのと真昼の赤い火を燃やす。
爽やかな海青色のオーヴオール、            
(海青色 かいせいしょく)
髪の毛を堅く包んだ黄いろいカーチフ、
長いフォークの柄によりかかって
うっとりとあなたは立つ。
鶏を飼い 山羊を飼い 緬羊を飼い、
一町五反の痩土と独力で取っ組んで、
六年の今日「斜陽」もなければ旧華族もない。
頼むのはただ自然とその順調な五風十雨。
あなたの手に堅く厚い胼胝があり、            
(胼胝 たこ)
あなたの机に農事簿とモーロワとがならぶ。
そして今日のいま 金と青との晩秋の真昼、
赤い火に立つあなたを前に
もう初雪の笹べりつけた北アルプスの連峯が、
ああ 遠くセガンティーニの背景をひろげている。

 
 

別荘の持ち主渡辺昭さんは、森のそとの地所を畑や養鶏所や山羊や緬羊の放牧場にしていた。そしてその世話をするのは主として奥さんと雇い人の若い男の二人だけだった。火山高原の石ころだらけの荒蕪地を開墾した一五〇アールの渡辺牧場。それをつい数年まえまで貴族院議員の令夫人だった奥さんが、今は二人の令息の面倒を見る一方、全く未経験のこんな仕事に専念しているのだから、私達としてはただただ感心するのほかは無かった。
 若い春子夫人は凛然として気品の高い美しい人だった。事実上の農場主として毎日記帳している農事簿その他の帳簿のかたわらに、ひっそりとジイドやモーロアの原書が並んでいるくらいだから、語学の立派な素養もあった。その夫人がここに書いたようなよく似合ったかいがいしい労働姿で、晩秋の晴れた真昼を赤い焚火を前に、青い八ガ岳を背に、北アルプスを遠景にして立っているのだから一幅の画にならない筈はない。昔から好きなイタリアの山や牧場の画家ジョヴァンニ・セガンティーニの画を私が思い出したのも、この場合寧ろきわめてしぜんな事だったと言えるだろう。

 

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冬のこころ

 

ここにはしんとして立つ黄と灰色の木々がある。
その木立を透いて雪の連山が横たわり、
日のあたった枯草の丘のうえ
真珠いろに光る薄みどりの空が憩っている。
これらのものはすべて私に冬を語る、
世界の冬と 私自身の生の冬とを。
かつて私にとっては春と夏だけが
生の充溢と愛や喜びの季節だった。
いま私はしずかに老いて、
遠い平野の水のように晴れ、
あらゆる日の花や雲や空の色を
むかえ映して孤独と愛とに澄んでいる。
世界は形象と比喩とにすぎない。
ひとえに豊かな智慧の愛で
あるがままのそれをいつくしむのだ。
枯葉を落とす灰色の木立 雪の山々
真珠みどりの北の空と
山裾に昼のけむりを上げる村々、
この風光を世界の冬の
無心な顔や美の訴えとして愛するのだ。

 

 


 

 この詩を書いた時私はもう五十歳も半ばを越えていた。自然も冬だが私の人生もようやく冬で、心の眼に映る世界は曾ての絢爛から徐ろに枯淡なものへと移っていた。そしてその枯淡の中から今までは気にも留めなかった美を見出して、それを静かに慈むことが自分の生の意義であるように思われて来た。刻々と変化して止まないこの世の姿は結局各瞬間の映像にすぎず、さまざまな事変や出来事もまた一つ一つの寓話にすぎないような気がして来た。しかしそういう世界でも退いて静かにこれを眺めれば、人間箇々の短かい生の縮図であって、穏かにそれを受け容れ、理解し、時に憐み時に惜みながら、決して捨てたり見限ったりしない事、それが老年の豊かな知恵の愛だと私は信じた。しかもその愛からまたどんな貴重な発見があるかも知れないのである。自然と人生との冬に託して告白した自分の心境。それがすなわちこれだった。

 

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地衣と星

   (詩誌「アルビレオ」の創刊号のために)

 

お前は辞書を片手にハドスンを読んでいる。
私は燃やす薪の肌から詩をおもう。
谷間の青い霧のような 夜あけの空の雲のような
地衣蘚苔が白い木の皮に爽かにも美しい。
「アルビレオって何ですの」と昔お前が私にきいた。
「星の名だ。天の銀河を南へ飛んでる
白鳥のくちばしにつけた名さ。
きれいな星だよ、苔を溶かして凍らせたような」

むかし武蔵野に遠く孤独な小屋があり、
ランプのひかり青葉隠れの窓を洩れ、
年若い妻に私は夏の夜ごとの星を数えた。
いま雪の上に雪の降りつむ富士見野を、
信州の冬の夜ふかく、白樺は煖炉に爆ぜ、
老いた私達にあかあかと燃える余生がある。

 

 


 

 私にかぶれて山野の鳥を好きになった妻は、鳥を主としたイギリスの自然文学の大家ウィリアム・ヘンリー・ハドスンの「鳥類の中での珍らしい出来事」という本を、英和辞書を頼りにこのごろしきりに読んでいる。森の中にも雪の積もってる寒さきびしい真冬の夜、白樺の薪を煖炉に燃やして彼女はハドスンでの英語の勉強、私は私でそのそばで、東京の友人が最近創刊した「アルビレオ」という詩の雑誌を読んでいる。英語ならば私のほうが先生だから難解なところは教えてやりながら。
辞書に無い鳥を英国の図鑑から捜し出して見せてやったり、星図を拡げて星の説明をしてやったりしていると、遠い昔の新婚当時の、東京府下上高井戸での田舎生活の夜が思い出される。彼女はまだうら若い十九歳、私はそれより十三も上。働き者だから家事や畑仕事は一切彼女に任せていたが、学問の不足の分は及ばずながら私が見てやった。思えば二十二、三年の昔になる。それにしても私はともかく、彼女にとって「老いたる余生」は少しかわいそうだった。

 

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雪山の朝

 

服装をととのえて 小屋を出て、
小屋から遠く 堅い靴で
堅い雪を踏みしめて行った。
クラストした雪面はきしんで鳴り、
強くぱりぱりと放射状に割れるが、
その響きやその呟きが
この皓々たるしじまの中では                
(皓々 こうこう)
きれいな純粋孤独の歌だった。

空は世界の初めのように
まろく 大きく あおあおと、
晴れわたった積雪の高処のながめは
透明に燃えて 結晶して、
きびしく寒くよこたわっていた。
薄赤い朝日の流れ、紫の影、
きらきらと木花に重い樅、唐檜、
はるか向うにも同じ氷雪の山々が
まるで虹いろの波だった。

瞬間の生涯回顧と孤高の心―
パイプを口に、
私は蝋マッチをはげしく擦った。

 


 美ガ原の山本小屋でヒントを得て、富士見へ帰る汽車の中で書き上げた詩である。今でこそ立派なホテルになっているが、美しの塔で私の詩と背中合わせになっているあのレリーフの肖像は現在のホテルの主人の父親であり、その頃はまだぴんぴんしていた。そして泊まる処と言えば彼の小屋がたった一軒、言わば観光地美ガ原草分けの人でもあれば宿でもあった。
その雪山の朝の景色は書いたとおりだが、「瞬間の生涯回顧と孤高の心」は、その時の私の心境を煮詰めたようなものである。外観は平静のようでも内面は波瀾に富んだ過去の思い出と、それを乗り切って孤独に強く生きている現在の自覚。パリパリに氷った早朝の山の雪の上で、しっかりと口にくわえたパイプのために、蝋マッチを「はげしく擦った」私の気持は、或はわかってもらえるかと思う。

 

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安曇野

 

春の田舎のちいさい駅に
私を見送る女学生が七八人
別れを惜んでまだ去りやらず佇んでいる。
彼女らのあまりに満ちた異性の若さと
その純な こぼれるような人なつこさとが、
私に或る圧迫をさえ感じさせる。
私はそれとなく風景に目をさまよわす。
駅のまわりには岩燕がひるがえり、
田植前の田圃の水に
鋤きこまれた紫雲英の花が浮いている。
そしてその温かい水面に、ようやく傾く太陽が
薄みどりの靄をとおして金紅色に照りかえし、
白い綬のように残雪を懸けた常念が
雄渾なピラミッドを逆さまに映している。
絵のような烏川黒沢川の扇状地、
穂高の山葵田はあの森かげに、               
(山葵田 わさびだ)
彫刻家碌山の記念の家は
こちらの山裾にある筈だ。
いずこも懐かしい曽遊の地と
暮春安曇野のこの娘ら‥‥‥
私の電車はまだ来ない。

 


  私のような者にでも校歌の歌詞を頼んで来る学校が時どきあるが、富士見にいる間にもよく頼まれた。そういう時私は書く前に必ず一度はその学校まで行って、そこの校庭のまんなかに立って周囲の景色だの校舎その物だのを見ないと気が済まない。だから北海道江別の女子高等学校の場合だけは別として、その他はどんな山間僻地へもすすんで出かけた。もちろん長野県下が一番多いが。
 これも南安曇郡豊科の女子高校へ下見に行った時の事を書いたもので、山も川も聚落も耕地も、その風景はこの妙齢の女生徒達にふさわしく暮春の情緒に満ち満ちていた。駅まで見送りに来た娘たちは皆人なつこくて、そう言ってはおかしいが、出来るだけ私に寄り添って歩いた。そして私の乗るべき松本行の電車がなるべく遅く来るように願っている様子さえ見えた。
 あの校歌はまだ歌われているだろうか。しかし今書いたような事をあの時の娘達はもうみんなきれいに忘れてしまったかも知れない。それでいいのだ。それがこの世の常だ。そして私を運び去るべき車もやがて来るだろう……

 

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葡萄園にて

    (甲州勝沼、曾根崎保太郎君に)

 

厚い緑の葉の上へずっしりと載った
この驚異そのものの豊麗な一房、
まだ強い秋陽のもれる棚の下で
透明な金と琥珀の涼しい宝玉、
天然の甘美の汁を内にみなぎらせて
その成熟の頂点にある
これら巨大な粒のひとつひとつの重たさよ。

わが友葡萄作りは口いっぱいに
この大いなる円満の玉をひとつ含んで、
なおその甘さには威力がないと歎く。
造り主よ、造り主よ、
その歎きはまた詩人にも通じる。
完璧を期しながら一作ごとに持つ不満、
これぞ神に似ようと努める我らの
なお生けるしるしではないだろうか。

 


 

 山梨県の勝沼は全国でも有名な葡萄の産地である。友人曽根崎君もそこの葡萄園の持ち主の一人で、同時に詩人でもある。或る年の秋に私は招かれてその家を訪れ、広い園内の棚の下で葡萄の馳走にあずかった。デラウェアだったかゴールデン・クイーンだったか、いずれにしても大きな粒のみごとな房で、果実というよりも寧ろ甘美な樹汁と柔軟な肉とをみっちりと重たく包んだ袋だった。そして曽根崎君はその袋を一つちぎって口に含んだが、甘いことは甘いが何か迫力のような物が欠けていると言った。漫然と物を食う際の人間としての私は「こんなにうまいのに」と思ったが、詩を作り文章を書く人間としての私は、その言葉をなるほどと受け取った。心を打ち込んで何かを創作する者の、その作品に対する不満足の気持と今度こそはという発奮の気持ち。私はそれを痛感しながら改めて一粒一粒を丁寧に味わった。

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八月の花畠

 

バーベナ アスター ジニア ペチュニア
ビンカ フロックス マリーゴールド スカビオザ、
その他私に名も知られない花たちが
色や姿の多様をつくして、
燃える八月の空の下、
この高原の採種圃場のひろがりに、
新鮮に 豪華に 咲き栄えている。

ああ その柔らかい植物の炎の上に
なんという数かぎりない蝶や蜂の
目もあやな労働と遊戯との波だろう!
花から花へ晴れやかにひるがえる
硫黄いろの山黄蝶、アラビア模様の赤たては、
熱帯の獣の皮を重くまとった豹紋蝶、
太陽の反射と屈折とに光彩を変える小紫 ─
さては蜜蜂 丸花蜂らの強壮な種族が、
宝石か金のつぶてのように飛びちがう。

きょうこそ秋も立つという日の
これら花と昆虫との饗宴が、
私をしてこのごろの老の恐れを忘れさせる。
夏の無常を身にしみじみと知りながら、
炎々と燃えて生きるいのちの美しさを
澄んだ叡知として涼しく受ける喜びよ。
私はひときわ華麗な畝間へ立って、
この讃歌のような光景と
きょうという日の高原の空にかろく浮かんだ
羽毛のような白い雲とを、
飽かずいつまでも眺めている。

 


 渡辺さんのところでは畑地のかなり広い部分を或る種苗会社に貸した。それで其処が立派な採種圃場になって、夏は十幾種という観賞用の植物が、色もとりどり、形もさまざまな外来の花でいっぱいになった。高原の夏の野草には元より彼らとしての趣きがある。しかし此処ではそういう捨てがたい野趣を物ともせずに咲き傲って、華々しい豪奢な一角を現出していた。すると其処へ方々から無数の蝶や蜂が集まって来て、それまでは一羽一羽が静かに目を喜ばせていたのに、今では見るかぎり彼らの狂気じみた乱舞だった。
立秋は八月の八日頃である。「秋立つ」といえば私にもすでに何らかの感慨がある。つまりこんなに華々しい夏でもやがては逝くのだという無常感である。しかも今、そんな思いを焼き払うかのようにこの花ぞのは燃えている。それで私は穏かにこの現在を受容する。そう思って眺めれば、今日は空に浮かぶ雲さえ彼ら蝶や花たちに同調しているようである。

 

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晩 秋

 

つめたい池にうつる十一月の雲と青ぞら。
たえず降る緋色のもみじが水をつづる。
遠く山野を枯らす信濃の北かぜ、
もう消えることのない連山の雪のかがやき。

枯葉色のつぐみの群がしきりに渡る。
牧柵にとまって動かない最後の赤とんぼ。
ゲオルク・トラークルの「死者の歌」が
私の青い作業衣の膝で日光にそりかえる。

 


  分水荘の森のそとには、山からの水を引いて集めた小さい池がある。その池の縁に一本大きなクルミの木が立っているが、その木蔭でクローヴァを敷物に見馴れた景色を眺めたり、本を読んだり、訪ねて来た友人と話をしたりするのが楽しみの一つである。しかし今は風も冷めたい秋の末、そのクルミの葉もとうに散って、池には風に送られて来た木々のもみじが模様のように浮かんでいる。其処で即興的に書いたのがこれである。 
 私はオーストリアの詩人ゲオルク・トラークルの詩を、戦前もかなり早くから読んで愛していた。ドイツの或るアンソロジーの中でその作品を発見して好きになったのが最初だった。第一次世界大戦に従軍して一九一四年二十七歳の若さで死んだ彼の死には、私の内に在るいくらかの悲劇性への傾向に訴えるものが多かったせいであろう。ここへ出て来る「死者の歌」もその詩を集めたインゼル発行の文庫本である。最近日本でも彼のためのそれぞれすぐれた訳詩集が幾種か出た。

 

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炎 天

 

高原の土地の村から村へ
真夏を焼ける長い道をゆきながら、
風物のまばゆさと くるめくような炎熱との故に
ふとヴァン・ゴッホを思い出す時 ‥‥‥

アルルの畠やプロヴァンスの広がりばかりか、
若者アルマン 医師ガッシュらの肖像にさえ
悲しいまでに美々しく純粋に象徴された
この抜けるような炎天の高貴な本質。