高原詩抄

 

           昭和17年9月10日 青木書店 B6判 丸背 183頁
                    定価2円
                    3000部発行

 

 

2000年11月7日改訂



 目 次

 序

 1 早春の山にて

 2 春浅き

 3 かたくりの花

 4 軍 道

 5 秩父の早春

 6 松本の春

 7 飯縄高原

 8 山小屋の朝

 9 若い白樺

10 日川の谷

11 神津牧場

12 和田峠東餅屋風景 

13 一年後

14 山村の夕暮

15 雪消の頃

16 セガンティーニ

17 峠 路

18 高 原 その一

19 高 原 その二

20 高 原 その三

21 高 原 その四

22 高 原 その五

23 友

24 アルペンフロラ

25 雲

26 大いなる夏

27 八ヶ岳横岳

28 金峰山の思い出

29 前橋遠望

30 三国峠

31 

32 お花畠

33 天井沢

34 槍沢の朝

35 帰 来

36 窓前臨書

37 高原の晩夏に寄せる歌

38 牧 場

39 

40 夕の泉

41 下 山

42 山中地溝帯

43 甲斐の秋の夜

44 輪鋒菊

45 猪 茸

46 野辺山ノ原

47 美ガ原熔岩台地

48 秋の流域

49 樅の樹の歌

50 御所平

51 山麓の町

52 志賀高原

53 信州追分

54 シュプール

55 シュナイダー

56 凍 死

57 夏山思慕

58  連峯雲

59 登山服


 

早春の山にて

 

遠い北方の山々に雪はまだ消えないが、
あの下のほうの霞の底では
平野の河が幾すじもきらきらと震えて、
無限の春の広襞をそよかぜが流れ、
空のあちこちに雲雀の揚っていく麗かさが想われる。

こうして移る刻々が私にはひどく惜しまれるが、
お前の時はやっと今始まったばかりだ。
私は何ひとつお前に残してやれないほど貧しいのに、
腕を与えてひとつの山登りを完成させた今日は
此の世でいちばん富んだ父の心でいるのだ。

だが明日は五月、                       (明日 あす)
もうじき山路に栃の花が咲き、
雲のように湧く新緑の谷間に
郭公の笛のこだまする時がめぐって来る。            
(郭公 カッコウ)
そうしてお前はついに女になる。
そうして今度は、あわれ、お前が手をとって、
私のために行くべき道を教えてくれるだろうか‥‥‥

                 (我が子に与う 昭和十四年作)

 

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春浅き

 

春浅き三頭の山に                        (三頭 みとう)
なお残る雪を踏まんと、
そが麓、数馬の里の                     
  (数馬 かずま)
谷はふかく我は入りにき。

氷柱こそ滝にはかかれ、
かんばしや、梅はおちこち。
美しき農家の垣に、
あたたかや、菫さきにけり。

しかれども我がいぶかりは
女子みな、男子をなべて、                  
(女子 おみな 男子 おのこ)
われ遭う村のわらべの
ねんごろの礼にてありき。                  
(礼 いや)

宿にして夜のまどいに、
わが問えば、この山里に
いちにんの若き師ありて、
他郷人の入り来るあらば、                  
(他郷人 よそびと)
貴きと、卑しき問わず、
礼せよと教えぬという。

礼すると、はた、せざるとは、
これ人の心にあれど、
けなげさは其のわらべの
師の教え守るにぞある。
この心、絶えせぬかぎり、
全けん、日の本の道。                    
(全けん  まつたけん)

 

 

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かたくりの花

 

春のいきれの暑い山みち、
わたしはさっきから汗たらたら
上着をかかえてあるいている。
あせびの茂った石灰岩の痩尾根を縦に渡れば、
ひやりと涼しい樹々の若葉の下かげの
そこら一面かたくりの花ざかり。
ふかふかと降りつんだ
軽い枯葉のさざなみから、
ずらっと立って、
小さい紫の天蓋を傾けているかたくりだ。
わたしはあまり見事な光景に
どっかとそこへ座りこみ、
これだけでも今日の山歩きの意味はあったと、
筒鳥の声ののんびり霞む昼まえを、
花の傍ら、落ち葉のなか、
寝むらば眠れとやわらかに目をとじる。

 

 

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軍 道

 

私たちの下って行った山腹の村には
一抹の夕日の色がまだ思い出のように残っていた。
段々畑の中には苔の斑点つけた大きな岩がごろごろして、
それが放牧の牡牛のように見えた。
たそがれ近い水のような空気の中で
山畑の小石のあたる鋤の音がすがすがしく響いていた。
丘ひとつ向こうの谷ではみぞさざいが囀り、
それに答えて、
寝にゆく前の山雀が甘えるように歌っていた。          
(山雀 やまがら)
梅は白く、三椏は卵いろ、                   
(三椏 みつまた)
村の坂道の片側を
用水が紫の夕空をうつして淙々と流れていた。
そして生活への崇敬の念を起こさせるかのように、
農家の前庭で野天風呂の火がちらちらと動いていた。

 

 

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秩父の早春

 

森林や谷間にはまだぎっしり雪がつまっているが、
ほんのり緑をさした鋼いろの空の遠方では、
早い春の試みのような薄命の、
おさない雲が浮かんではまた消える。

時の輪廻の思い輪の下におしだまって
待つのは自然ばかりか人間も同じだ。
凍結の一夜が明けると束の間の日光がいう。
落膽するなお前はじきに来ると。

その太陽もやがて烈風のなかに傾けば、
樺の林は奥ふかく、くらくら。悲しく燃上がり、
りんりんと紫にこおりはじめる夕暮を、
人はいよいよ頑なに戸をとざす。

しかし今日は何という慈みの色が
峯つヾきの空から空へ流れていることだろう。
とおく二つの国をよこぎって行く此の河の下流から
何という春の息吹きが上がって来ることだろう。

 

 

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松本の春

 

車庫の前にずらりとならんだ朝のバス、
だが入山邊行きの一番はまだ出ない。
若い女車掌が車内を掃いたり、
さうかと思へば運摶手が、
廣場で新聞を立讀みしながら、
體操のやうな事をやつてみたり。
夜明けに一雨あつたらしく、
空氣は気持よく濕つてゐる。
山にかこまれた静かな町と清らかな田園、
岩燕が囀り、れんげさうの咲く朝を、
そこらぢゆから春まだ寒い雪の尖峰が顔を出す
日本のグリンデンヴァルト、信州松本。
凛とした美しい女車掌が運摶臺の錫の筒へ、
紫と珊瑚いろ、
きりたてのヒヤシンスを活けて去る。

 

 

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三 国 峠

 

権現さまに臀をむけて
しょい上げて来たエビスビールは抜くものの、
さすが上越の風は荒っぽいな。
上州はこんな奥でも変に賑かなお蚕時だが、
山一重で浅貝は唄のとおりに寂しいな。
でも苗場山の苗代田がよく見えるな。
そういえばもう新藁の出る時分だな。
お富士さまの蕎麦の大蛇だな、
夏は夏で、又したい仕事がうんとあるな。
あしたは東京へ帰ろうかね

 

 

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飯縄高原

 

若い太陽、吹くとしもない宇宙の風、
大きな春が今いちど山々へ帰つて来た。
今いちど遠い山脈は残雪にかヾやき、
今いちど近くの唐松は新緑にけむって、
その甘い匂に空気をかおらせる。

あゝ高原よ、
花ざかりの蓮華躑躅や棠梨の藪で             
(蓮華躑躅 レンゲツツジ 棠梨 ズミ)
涼しくきよらかにあおじが歌う。
冬の曇りの拭きはれた空の手鏡、
つめたい池の上を鴛鴬がすべる。
膝の上に腕を立て顎を支えて眺めれば、
きょう飯縄も戸隠もあおあお晴れて、
裾花の谷はきらきらと麗かな春霞、
その霞の底の山桜や鶯や、民家や街道への想像が、
はるの真昼の夢の世界で私を人生へ結びつける。
あゝ雪にかヾやく遠い壮麗な山脈よ、
あゝ五月の春に酔う高原や谷々よ、
やがて来るおんみらとの別れの予感が
此の宇宙の調和の前でひとしお哀愁をそそる時、
私を抱きしめて瞬間の受用に溺れしめよ!

 

 

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山小屋の朝

 

山小屋の尾根からは陽炎が立っている。             (陽炎 かげろう)
僕は山でもひとりぼっちの一兵卒だから、
こんな陽炎までふるまう今朝の麗らかな山頂を、
単純に、しんからありがたかった。

壮麗の、森厳のと言ったって、
結局言葉は貧寒な雪の山嶺だ。
青玉のような空の下にぎっしりと稜をならべた、
この中部日本の広大な結晶群が僕をだまらせる。

こんな朝のさばさばした人間関係‥‥
七彩の虹を吐く雪の上へ長々と影をよこたえて、
死んだ親父によく似た小屋番のおやじの横顔に、
僕はカメラの狙いをつける。

 

 

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若い白樺

 

朝のあおい空気に濡れて
鞭のような枝がゆれている。
その葉は柔らかく、樹液に重いが、
愛の小鳥が埋もれて嘆くほど
そんなに密に成熟していない。

周囲の酔わせるような春の息づかいを
素朴に白く卓立して、
鈴蘭や桜草の艶やかなしとねから、
雪のひかる峻厳な山獄に接している。

 

 

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日川の谷   

                         (日川 にっかわ)

 

四日の旅路が終ろうとして
影はほのぼのと草の上を帰る。
笹子は山をはなれた黄金の満月に
たそがれの谷は崩れる花のようだ。

さしのぼる着き、帰る人あって、
いよいよ目覚める春の渓流。
水は岩のあいだで夜の歌を高め、
一羽の梟、婆裟として谷間を縫う。

 

 

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神津牧場

 

牧場管理人のいかめしい顔のまんなかで、
大きな髭が好人物だ。
おれはバタア製造所の建物にいた。
今日も一日快晴らしい五月の太陽が
まだ妙義のむこうではにかんでいる時刻に。

バドミントンスタイルの牛酪掛の老人は、
気の若い、名人の酒好きらしい。
おれは一目で「ゴリウォークの菓子作り」を思い出す。
むっとする乳の香に子共部屋の空気がある。
黒板に粉っぽい英語の走り書、
卓の空壜しおらしく桜草‥‥‥

錫の分離器が夢みるように歌い出す。
航空母艦の煙突を想わせる平たい管から
米の磨水みたいな脱脂乳がしゃあしゃあ出る。         
(磨水 とぎみず)
ほそい管からは一割の濃厚クリームが、
ありがたそうにとろとろ滴たる。
そいつを重たくコップへ受けて、
藤紫の赤久蝿や稲含の山を半眼に見ながら           
(赤久蝿 あかくな 稲含 いなぶくみ)
子共心になって飲んでいると、
そばから管理人が得意らしく「どうです!」と言った。

 

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和田峠東餅屋風景

 

唐沢、男女倉口、接待と、
さみだれに濡れておもたい新緑の山みちを、
論理的に、ぎりぎりに、
ねじ上って来た大型バスがゆらり停まった東餅屋の茶屋前。
ふらふらと出てゆく乗り合いの客のあとから
ご苦労様と撫でゝやりたい車を下りれば、
あたりは変にあかるく、暖かく、
此處は未だ芽立ちのまゝの樹々の梢に霧の襤褸がからまっている。   
(襤褸 らんる)
パイプ片手に其處らをあるけば、
しんみりとした旅の心も何とはなしに花やいで、
ほのぼのけむる小雨のなか、
黒曜石のかけらをあさる。
長途の旅の峠うえでの此の一休みが
みんなの気持ちをなごませ結び合せたのか、
茶店のあたり賑やかな笑や話ごえが起っている。
湯気を立てて出発を待つ忠実な車に親愛の眼を注ぎながら、
貝殻ほどの石をいくつか握って茶店へはいれば、
赤い腕章をつけた美男の車掌が愛想よく
「お客様、熱いのを一杯いかがですか」と、
山中の共同生活を思わせて、
同僚へのように茶碗つかんですすめるのだった。

 

 

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一 年 後

 

猿ガ京を出はずれて
路は吹炉への降りにかかる。                  
(吹炉 ふくろ)
秋よ、
秋はきらびやかに、爽やかに、
もう漆の葉をまっかに染めている。

「小父さん、どけえ行くだ」
四つか五つ、男の子が一人、
小さい腰に両手をあてて立っている。
私は立ちどまる、
あまり小さい子共の、あまり大人びた其の様子に
私は思わずにっと笑う。
「法師へ行くんだよ」
「法師か。法師ならまっすぐだ」
あくまでもきまじめに道を教える其の子共に
「知ってるよ」と私は言うまい。
思わず帽子を片手にかけて言う、「ありがとう」
その時私は見た、
大人のように両手をあてた子共の腰に、
小さい守札がぶらさがっているのを‥‥‥

    ※

翌年の春もたけて山藤の頃、
また同じ道を私はとおった。
はるか姉山の部落の鯉幟に、
私は去年の子共を思い出した。

私は歩きながら眼で探した。
有難い
(モン・デュウ)! 子共はいた、路の傍、畑の隅に。        
あの子だ。私はすこし興奮して近づいた。
「君に上げるよ」
子共はたじろいだが手に握った、
私の出したキャラメルの一函を。

すこし行って私は振り返った。
子共のそばには母親が立っていた。
二人してこっちを見ながら、
母親は頭の手拭をはずして御辞儀した。

私は遠くから首をかしげて挨拶しながら、
其処に、彼らの畑のまんなかに、
上州の小梨の大木が一本、
さかんな初夏の光に酔って、
まっしろな花をつけているのに気がついた。

 

 

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山村の夕暮

 

甘やかな、ほんのり赤い五月の夕日が
この山ふところの村落を、新緑に重い風景を、
瞬間の希有な光で浸している。

夜に入る前最後の娘が汲みに来る
高い、澄んだ井戸の水音。
昼間わたしが見た
石段を降りてゆく其の井戸のあたりには、
すでに夜の影がさまよっていることだろう。
多くの岩やきりぎしに谺するその音が              
(谺 こだま)
この山村の迫った深さを思わせる。

人が其処から汲みあげる平和、
人が水桶へあける限りない涼しさ。
あの井戸の近く、大きい柿の木の下で、
或る年の夏を暮らすべき自分をわたしは夢想する。

其の時、一冊のゲーテ、一冊のヘッセと共に、
わたしは人生の最上のものを知るだろう。
山と、青葉と、空と、星、
自然と音楽とに最も強く結びついた単純な生活の
つきぬ豊かさから学ぶだろう。

黒びかりする柱を照らす吊ランプ、
たそがれの厨で物を煮る香。
あすは立ってゆく此の山間の古い家を
わたしは遠い昔から知っている気がする。

 

 

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雪消の頃

 

清いものとして薄れゆく
おもいでのように、いつか輪郭も
透明になった雪のまだら。

身にしみるほどまじめで、
静かに万物をときはなつ
高原の五月の太陽よ。

ながい隠忍のはしばみや
白樺のかなたの空を雲がながれ、
風は自由と漂白とを歌って通る。

雪消の水の青と銀との糸すじに               (雪消 ゆきげ)
うるおされた土からは、
山の早春を吐く水芭蕉の花。

自然はまだどこか淋しいが、
すでに清新の気に満ちみちた風景をとよもして
おおるりの歌が喨々とひびく。

そしてもう人が居るのか、あの小屋から
今昇りはじめた柔らかな白けむり。
あれこそ山の春の消息だ。

 

 

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セガンティーニ

           (その画「春の牧場」に)

 

それで画家は、いま一度、
彼の魂の永遠の休み場をここに見出す、
もう生の矛盾も死の苦痛もなく、
一切が神の秩序の中で歌っている自然を。

太古からのように、又今始められたように
牛も山も、空も牧場も、そこに在る、       
[牛も山も、空も牧場も、そこに在る]
おだやかに、まじめに、皆よく似て、
同じ母なる要素から生まれたものにふさわしく。          
[同じ母なる天然]

山上の春の大きな寂寛のなかで、
うたうような色彩は
雪消の水の浅黄がかった真珠いろに            
 [雪消の水の真珠に雲って]
涼しく爽やかに、もう古くおちついている。         
[あたたかに、爽やかに、]
牧場の起伏も、牛の背も、空の弓形も、山頂も、
たのしい忘却の線によこたわる。

はじまる朝も終る夕べもなくなって、
これが彼の真昼だ、本当のふるさとだ。
彼はもうどんな「帰郷」も描かないだろう。
忍苦の思い出に悲しくけだかく微笑して、
今やこの高所に太陽にねむる事が出来る。

 

 

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峠  路

 

なんとなく春めいた風が私をつゝみ、
晴れやかな旅の空にきょうも三月の太陽が懸かる。
こゝは信濃路残雪の峠みち、
人里とおく登って来たこの高みに
どこかで鷽が鳴いている。                   
(鷽 うそ)
山々へ春を知らせる笛のような鷽の声だ。
私は鳥の姿をもとめて双眼鏡の視野をまわす。
すると鳥のかわりにぼんやりと人間の姿がうつる。
そのまゝ静かに焦点を合わせると、
谷をへだてゝ二町もむこうの
高い斜面へ苗を植えている老人の姿だ。
檜か椹か、                         
(椹 さわら)
何にしてもいつかは森林をなすべき樹木、
時満ちれば蓁々と繁り栄えて、                
(蓁々 しんしん)
家の富、国の富ともなるべき樹木の其の苗だ。
私の裏に或る淡い悲しみに染まった
ひとつの深い感動が湧く。
いま日本は其の子孫と未来とのために
国運を堵して戦っている。
この戦いが終の勝利におわる時、               
(終 つい)
しかし此の老人はとうに此世の人ではあるまい。
来る春ごとに鷽が鳴き、峠路の雪が溶け、
千百のあの苗が年ごとに高く伸び育っても、
今私がレンズの中で植林している此の老人が、
今よりももっと老いた眼、曲った腰で、
その森林を見上げる日はついにあるまい。
しかし其の人は植えている、
あの尾根通のあらわな斜面が                 
(尾根通 おねどおり)
美しい森林ですっかり被われる日を信じて。

私の眼が大きくなる。
老人の姿、苗木の列が円くなり、柔くなり、
ついにすべての輪郭が青くくづれる。
私は双眼鏡を皮の函へおさめると、
清められた者の心をもって歩みつゞけた

 

 

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高 原  その一

 

熱い火山岩が切り明けの道にごろごろしていた。
むこうのななかまどの木の下で
山羊が一日じゅうぬるい草をたべていた。
あかい蕪子やあおい風露草、
花にうずもれた岩の上で
僕はとかげのかくれんぼ見て暮らした。
それからゆっくりと高原の夜になったが、
今ではいちめんの草山の露に
つめたく、きらきら、
星の光が交叉している。

 

 

高 原  その二

高原のさびしく明るい片隅に
ひとところ小さい泉が湧いていた。
夏なお雪の連山をながめる
台地のよこはら、崖のわれめ、
岩菅や薄雪草の根ぎわから
銀鎖のように流れてたまる水だった。
それを知っていたのは僕と近所の小鳥ばかり。
僕はあつい手を冷やし、
のびたきやほおあかは
それを飲んで水浴びをした。
朝はたのしく、
夕日となれば甘く、恋しく、
みじかい夏の花のかげから
彼らの歌がひびいていた。
無常の夏の花のかげから
わすれじの遠い泉はしたたっていた。

  

 

高 原  その三

牧場の昼過ぎの驟雨があった。
暑さに萎えた牧草や乾いた牛の通路に              
(通路 かよいじ)
湯滝のようにそそぐ雨だった。
やがてふたたび太陽が現われ、
高原のはれやかな夏景色になると、
麓の宿から休暇の女学生が大勢のぼって来た。
陶器のように涼しく、
くだもののようにみずみずしい、
都会の健康な娘たちだった。
彼らは雲や花や詩について
私にたくさん話させた。
ひどくまじめに、好奇心をもって聴き、
じきに忘れるおそれがあった。
それから「さようなら、さようなら」と手を振って、
もっと楽しい今宵の宿へ降りて行った。
私はひとり取り残され、
古い小屋の前で考えた、
私のために青春はすでに去ったかと、
人が運命に実るためには
どれだけ賢い淋しさをもたなければならないか。
どれだけ淋しい賢さを学ばなければならないかと。

 

 

 

高 原  その四

 

ししうどの原でのびたきが鳴いている。
乾草がよくかわいて佳い匂いをたてる。
小屋の日かげで一羽の蝶が
やぶれた羽根を畳んだりひろげたりしている。
もうじき牛たちも麓の村へ帰るだろう。
やがて、とつぜん、
秋が最初の嵐を連れてやって来るだろう。

 

 

 

高 原  その五

 

いつか善い運を授けて下さるならば、神様、
どうか私にオーヴェルニュを見せて下さい。
其処のピュイ・ド・ドームやカンタルなどという名が
私にとっては巡礼の聖地の名のように響くのです。
露にぬれた伊吹麝香莊、             
(伊吹麝香莊 いぶきじゃこうそう)
岩燕のとがった影、
ピュイ・マリーからプロン・デュ・カンタルへ伸す鷲の羽音      
(伸す のす)
ああ、日本はついに私の墳墓の地だが、
心の山のふるさとは
行けども行けども常に碧い遠方にある!

 

 

 註   「高原 その四」この詩は以下に引用した聖書の詩篇に似ているような氣がする。
     これは全く私の想像だが、尾崎が心のクリスチャンであり、聖書を良く読んでいた
     ことを考へると詩篇のこの一節がヒントになったのではというのはあながち間違い
     ではないのはと思ふのだがどうだろうか。


人の日は、草のよう。
野の花のように咲く。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。
主の義はその子らの子に及び、
主の契約を守る者、
その戒めを心に留めて、行なう者に及ぶ。

               (詩篇103、15〜18)

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わたしは君と旅をした。
六月 栃の花咲く岨路をゆき、              
(岨路 そばみち)
山の峠で展望し、
新緑の谷間の温泉に身を沈めた。

わたし達は暗い林間で清水を飲み、
ルックザックを開いて健康に食い、
深山の真昼をほがらかに鳴く、
遠い、近い、筒鳥を聴いた。

わたし達は山巓の日光を頭から浴びた。           
(山巓 さんてん)
わたし達は芳烈な山気を全肉身にたきこめた。
わたし達は薄赤い地熱の放射に照らされた。
わたし達は変貌した。

今、旅から帰って、生活と仕事とに、
全く新しい一歩を踏み出そうとしながら、
わたしは遠ざかった山々の父らしい合図を心に聴く。
しかし今日は立ちどまって君を思う、至愛の友よ。

君の存在と共に結局はいつか亡びるもの、
君に属するものの中で最も脆いはかない部分、
そしておそらくは最も美しい部分、
君の此の世の姿と、雰囲気と、その生活法
(ファソン)とをわたしは見た。

生命を形に託す君の仕事は
その自身ひとつの永遠を生きるだろう。
それはいい。しかし君の存在の夏の虹、
生活そのものである傑作を幾人の者が記憶するか。

その美の脆いことが時にわたしを涙ぐませた。
しかしその脆い美がわたしに一層深く君を愛させた。
友よ、わたしは君の「人間」のにおいに触れた、
あそこで、あの折れ重なる山々の間で。

                        (高村光太郎君に)

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アルペンフロラ

 

槍に、白馬、乗鞍に、八ガ岳に、
ユングフラウに、モンブランに、モンテローザに、
霧を呑み、風に鞣され、日光を食い、           
 (鞣され なめされ)
星よりも清純な高嶺の花が
千年の岩の斜面をちりばめている。
あけぼのが裂ける碧落の下、
壮烈に赤い開闢の日の出に、
うれしげな瞼をあける花らがある。
宇宙の波が岩角を洗う地殻の絶巓、
藍青と雪白との永遠の境涯に、
孤高を守ってしかもういういしい彼等は住む。
宝玉や面紗の花を開き又散らす内面の規律、
人外境の自然を感じる本能の飛躍、
あの高層の精神圏で
絶美な調和に興って生きる者らがある。

凛々たるアルペンフロラ!
世に狎れしたしみ、                   
(狎れ なれ)
たやすく己れを興へ去ろうとする時、
自己内心の最も貴きものを護るため
わたしの見る清らかなヴィジョンはこれだ。

 

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雲がはるかに、群れ、浮いている、
空のとおい、青い地に、                   
(地 じ)
かげをもつ白い家々や、尖塔が。

雲の変化はつねに短音階(モル)だ。                   
おもいだす今は亡い人の、
その折々の姿や顔を
忘れはしないが描けないと
同じように、遠く軟らかに、見る間に変わる。

この世でのつながりを欲しいが、
つかむには鏡の置くの物のようで、
すでに天上的に半調色だ。

ウンブリアの夏のようなものが想われる。
むかし聖フランシスの「小さき花」に
挟んでおいた一輪のおだまきも、
ちょうどあのように枯れ、褪せた。

 

 

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大いなる夏

 

路は登るにつれて伊吹麝香草の淡紅になった。         (淡紅 うすべに)
その花の鹽からい匂いが空気を一層するどくした。       
(鹽 しお)
小石にあたる杖の明るい響とともに、
金色の甲斐や信濃の風景が右に左に現れた。

友の指さす指の先で峠はあんなに高かった。
小手をかざすと天空と眉とのあひだ、
大気の青に巻かれて一つの大きな爆烈火口の
むざんに削げた赤い傷口が遙かに見えた。

とある平らでわたし達は腰をおろした。
隔絶を歌ふ風がひろびろと四方に起った。
遠く奥秩父は黒雲にとざされて、
あかがねの雷光が哀れな村々を引き裂いていた。

 

 

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八ガ岳横岳

 

もうそこに這松の手掛かりは絶えた。
ただ刃物のような岩の背つづきの痩尾根を、
雲も吹きわかれる空の宙宇で、
表に攀じ、裏にからんで渡るのだった。

今や生命と同じ名になった重心が
ひたすらの頼みとするのは鎖よりも
やはり越えなければならぬその岩である。

遠く夏の天を刻んでいる連山から、
下の方で正午に燃える平野から、
見れば見られる峯頭一点の我だった。

その想像は一瞬の眩暈に値した。              (眩暈 げんうん) 
だが必死の時に他人の見地から
おのれを見る余裕はたちまち失せた。
すべての虚栄心
(ヴァニテ)はそこに死に                   
旅嚢も意識にのぼる重荷ではなかった。

ただ眼に焼きつくのは眼前や脚下の岩角、
火炎のような赤岳の上半身、
また夢にもみるべき空の青と、
その無限の深さとであった。

 

 

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金峰山の思い出                      

 

金泉湯の若いおかみさんは                 (金泉湯 きんせんとう)
どこか艶だがりんとしていたな。
金山ではぴかぴか稲光りの飛ぶなかで            
(金山 かなやま)
雨傘さして鉄砲風呂へはいったな。
きれいな翌朝
外厠を栗毛の牝馬がのぞきに来たな。            
(外厠 そとごうか)
瑞牆てっぺんの岩登りに山案内の千代一が          
(瑞牆 みずがき)
四十を越したであら止めだとかぶりを振ったな。       
(止め やめ)
それにしても朝日のさしこむ本谷川の
あの噎せかえるような新緑を思い出すな。          
(噎せ むせ)
ひっそり藤の咲く桂平の岩へとまって            
(桂平 かつらだいら)
川鴉がヴィッ・ヴィッと鳴いていたな。
松平牧場のちらちらする雲母刷の空の奥に          
(雲母刷 きららずり)
八ガ岳がまるで薄青い夢だったな。
富士見平で藤を見ながら水を飲んだな。
そうしかんばのそばに湧く
つめたいきれいな水だったな。
大日小屋でくさやの干物を焼いていると
あたまの上でほととぎすが鳴いたな。
長い陰気な横八町縦八町の登りだったな。
尾根へ出たら目が覚めたようで、
筒ぬけの空にくらっとしたな。
もう其処では暑さと寒さとが縞になっていたな。
真白な岩綾づたいの砂払いから児の吹上、             
(児 ちご)
けさ国師の小屋を立って来たという
四人連れの一行にひょっこり遭ったな。
それからとうとうてっぺんだったな。
天のほうが近かったな。
二人きりだったな。
なんだか人間をもう一皮脱ぎたいような気がしたな。
とにかく胸をはだけて涼しい大きな谷風に
汗みずくのシャツを帆のように脹らませたな。
シャツがはたはたと鳴ったな。
だが髪の毛が逆立ったのは
風のせいばかりでもなかったな。
それから五丈石の下へうずくまって
ハンケチの端で珈琲を濾したな。
思い出せば何もかもたのしいな。
その六月がまた来るな。
だがなかなか山へ行くどころの騒ぎではないな。
千代一もとても食っては行けないといっていたな。
東京に倅の人足の口は無いかと訊ねていたな。             
 (倅 せがれ)

 

 

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前橋市遠望

 

山のスカイラインの永遠の上に、
いつしか消える白い飛雲。
晴れになる日の暑いさかんな桑畑のみどりの海。
その波うちの遙かむこうで。
まっぴるまの空へあがる数知れぬ煙の房に
それとわかる機業地の都会のひろがり。
汽車はなつかしい友等の国を走りに走る。
群馬総社の青嵐は赤城へなびき、
利根の大河が往手にがっくり
焼石いろの断崖の口をあけている

 

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思い出す、
あの奥上州の高い国で、
或日私たちが足を休めて息をついた
山みちの出はずれのからりとした一角を、
白い石屑のあいだに草のまばらな、
空間のテラスのような幾らかの平地を。

午前はもうかなり暑かった。
すこしでも降る小径は
汗を流して又もや登る路だった。
山の白昼の底知れない静けさが
すべての頂きや谷々を領していた。

海抜三千五百尺、
大気の海に突きだした山の出鼻で
さわやかな白樺の若い緑がそよいでいた。

風が、山越えする風が、
眼に見えぬほかの地平や国々の
よろこび、くるしみを運んでいた。
「吾妻はや……」
風は友の古い親しい横顔にもあった。
風は、白いソフトの下の
彼の厚い髪の毛にもあった。

片手に握った三脚を上げて友は教える、
「あすこに
あの、山と山との奥に見える、
あれが岩菅」

岩菅という山は群青の尾根に一閃の雪を光らせ、
山巓の空を匂うばかりにぽっと赤らめ、
天のエーテルの波につかって、
千年黙してそそり立っていた。               
(黙して  もだして)

その時、私のうちで
また新しい千年が過ぎたかと思われた。

すると、全く解放された世界の力があるどよもしが、
暁の潮騒のように、むこうの方、               
(潮騒 しおさい)
金色にまばゆい国々から響いて来た。
なんと複雑な
なんと深い人間の声々だろう……

それは風だった。風が起こったのだ。
すべての谷間や、山腹や、ほろあなが、
深遠な響きにみたされた。

友は草にかくれた降りの路を私に示した。

思い出す、あの奥上州の高い国で、
空間のテラスのような晴れやかな山の出鼻を、
また其時私をとらえた
人間への愛と憐れみのあの大きな聖なる夢を。

 

 

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お花畠

 

いちばん楽しかった時を考えると、

高山の花のあいだで暮らした

あの透明な美酒のような幸福の

夏の幾日がおもわれる。

残雪や岩のほとりの

どんな花でも嘆賞に値したし、

あらゆる花が夕べの空や星辰の

深い意味を持っていた。

そこには空気は香り、

太陽の光は純粋に、

短い休暇が私にとっては永遠だった。

 

 

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天上沢

 

みすず刈る信濃の国のおおいなる夏、
山々のたゝずまゐ、谷々の姿もとに変らず。
安曇野に雲立ちたぎり、槍穂高日は照り曇り、
砂に這う這松、岩にさえずる岩雲雀、
さてはおりおりの言葉すくなき登山者など、
ものなべて昔におなじ空のもと、
燕より西岳へのこごしきほとり、              
(燕 つばくろ)
案内の若者立たせ、老人ひとり、
追憶がまぶた濡らした水にうかんで
天上の千筋の雪の彷彿たるを見つめていた。

 

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槍沢の朝

 

人影もない堆石(モレーヌ)の丘に                     
金いろの日光が斜めに横たわっている。
朝の天空は耿々と青く、                   
(耿々 こうこう)
峯々の歯形の上に燃えている。

まだ霧の縞のふるえている青い谷奥に
銀の雪渓のいくつの弓がた。
しかし此処ではもうしんみりと火を浴びて
ちんぐるま、しなのきんばい、ほそばとりかぶと、
露に濡れた多彩の花の群落が、
白に、黄に、たま紫に、
高山の短い夏を歌いはじめる。

ふと、「とりどりの石」(ブンデ・シュタイネ)という言葉が唇にのぼった。
それと同時に、この爽やかな堆石の上で、
アーダルベルト・シュティフターという名の意義が
突然はっきりと理解された。

あたりは這松の樹脂のにおい。
身にしみとおる空気のつめたさと
手や首筋にあたたかい太陽の光線。
私の夏がきょうは終わろうとして、
槍沢の朝は悲しいまでに美しい。

 

                  

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帰 来

 

黙々として彼は山から帰ってきた。
試みられた力は彼に自由と重圧とを加えるが、
眼は雪しろの水を湛えた山湖のように
ふかい静かな懊悩をうかべ、
心に雲のような物の去来がある。

時おりの微笑は霧の晴れまの日光のように咲きはしても、
沈黙を一層喜ぶ昨日今日の自分自身を          
(昨日今日 きのうきょう)
どうすることも彼にはできない。

山の無言とけだかさとは
かりそめの言葉を彼からうばった。
堆石のほとりの寂しい残雪、
前身を鞭うつ尾根の強雨、
おこがれと予感にけむる夏の遠望‥‥‥
山はそれらのものの深遠な意味を彼にさとらせ
その根源の美と力とで彼を薫陶した。

そして再び複雑多端のこの世を生きようとする彼だ。
それならば、小さな好奇心でうるさく訊くな、
幾多異常な体験に面やつれして帰った彼が
この帰来の周囲からおのれ自身を見出して
新生の瑠璃黄金をまとって童子のように立つためには、  
(瑠璃黄金 るりおうごん)
なおいくらかの孤独の時を持たなければならぬ。
 

 

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窓前臨書

 

いつのまにか青葉になった庭前の樹々に、
けふ座敷のなかは奥のはうまで
ほのぼのとあおく水底のやうだ。               
(水底 すいてい)
私は歐陽詢の拓本「醴泉銘」を前にして、           
(醴泉銘 れいせんめい)
紙をのべ、静かに墨をおろしながら、
久しぶりに心のゆとりを味つていゐる。

あの日以来さまざまな仕事が
私から詩人の時をいよいよ奪ふ。
つねに一家おのれを後にして、
公の福祉を先立たしめなくてはならない。
自分がからだを動かさなくては
他人を動かし得ない事も身をもつて知つた。
いつ出るか分らぬ警報を思へば、
山や旅の空からも遠ざかつた。
けふ詩人はもう昔の詩人ではいゐられない。
運命は従ふものを流れに載せ、
抗うものを曳いて行くのだ。                  
(抗う あらがう)
何処かで春蝉がないてゐる。
こんもりと繁つた狭山新茶の爽やかな餘瀝。           
(餘瀝)
私は結體の美をもつて鳴る此の拓本の
冒頭の文字に筆をくだす。
床の間では静かに、冷たく、
瑞西グリンデンワルトの氷斧
(ピッケル)が光つてゐる。            



註1 歐陽詢の拓本「醴泉銘」
中国唐代河南省の人の書家。初唐代三大書家の一人で王義之の流れをくみ、
楷書の模範とされている。「九成宮醴泉銘」は代表作である。

註2 昭和五五年発行安部猛著「近代詩の敗北〜詩人の戦争責任〜」に「詩集の欺瞞」
と題してこの詩への解説がある。以下引用

新潮文庫版「尾崎喜八詩集」には、次の一篇が戦時中の作として収められている。

 以下同詩(新潮文庫版「尾崎喜八詩集」)の引用

 一見、これは「平和」な詩である。戦時中の詩だということからすると、あるいは一種の抵抗詩歌と早合点しかねない。しかし、注意して読むとわかるように、第二節の二行目と三行目の間は、その前後に比して唐突の感がある。「組長詩篇」に載っている右の詩を調べてみると、そこには実は、さらに六行分の詩があったのである。

 以下削除部分の引用

つねに一家おのれを後にして、
公の福祉を先立たしめなくてはならない。
自分がからだを動かさなくては
他人を動かし得ない事も身をもつて知つた。
いつ出るか分らぬ警報を思へば、
山や旅の空からも遠ざかつた。

 この六行の削除については尾崎はなんら説明しない。もしこの六行を削った詩を「捨て去るにしのびぬ」ものとするなら、原作の六行は蛇足だったのであり、時勢にへつらいの言葉であったことを告白するようなものである。
 とあり、更に「花咲ける孤独」に収められた詩を読むならば、自虐も深い傷心も見られない、という山室静の感想を引用し、尾崎は自らの「戦争責任」を自覚せず、したがって「戦後責任」をも果たすことがない。尾崎にとって「戦争」は吹き抜けた風のごときものだったのであろうか。と結んでいる。

 尾崎の詩集を年代順に見ていくと、後に詩を新しく収めるにあたって詩の改作が度々みられる。冗長と思われる詩句が削除されたり、新しい言葉に改められている。詩には発表された当時の「詩人の心」「時代背景」がある。しかし新しく詩集の一篇を編むときに、さらにふさわしくその詩の真意を表現するために改作するのは、過去を覆い隠す事ではない。作品は詩人が生きている間は、同じように生きているからだ。だから私には安部氏の言う「蛇足や時勢へのへつらい」という言葉は違うのではないかと思う。
 また山室氏の「花咲ける孤独」には自虐も深い傷心もないと一蹴している。はたしてそうだろうか。読者がそれぞれ感じればいいことだが、私には「悔悟と復活」が感じられる。

 
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高原の晩夏に寄せる歌

             「山」終刊号のために

 

 

正午に燻る火山高原の草にまぎれて、
ちまたへくだる人々の姿は消えた。
もはや新しく訪れる客の影はない。
ああ、老いたる八月、
豊かに錆びた夏のおわりよ!
ふたたび帰る静けさと世界からの隔たりとに、
まだ思い出の薄あおい空、
まだぬくもりの去らぬ岩。
しかし風は醒め、霧はながれ、
この大いなる広がりのいたるところ、
凋落の甘やかな匂いにまじって
すでに九月の嵐がさまよう、
すでに粛殺の秋がひびく。

方解石いろの雲の下、
一様に黄ばむ高原の果てしに
たてがみ上げて嘶く馬を見に行こうか。           
(嘶く いななく)
雨にくだけた風露草が
赤い花びら印した巌を踏んで、               
(印した いんした)
或朝の西風に捲かれながら
あこがれの遠方にむかって旅立とうか。
わが夏とその蕩尽とは美しかった。
今、晩夏の四周は花々の悔いなき死。
倏忽に消える無常の美を                  
(倏忽 しゅっこつ)
母らしい腕に抱きとる永遠はかしこにある。
さらば愛惜をなげうって此の山小屋を掃き清め、
欄干とのぼる秋の星夜を大きな窓へ呼び入れよう。 

 

 

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牧 場

 

山の牧場の青草に
あまたの牛をはなちけり。
あまたの牛はひろびろと
空の真下に散りにけり。

夏もおわるか、白雲の
きょうも峠を越えて行く。
立ち臥す牛ら眼を上げて、
雲の行衛をながめけり。

山の牧場の風立ちて、
夕日の光ながれけり。
風に送られ、日を浴びて
牛は牧場をくだりけり。

 

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ふたたび秋がここへ来て
太陽は真率な光をみなぎらせ、
さわやかな、充実した天地の中で、
物は豊かに完成され、成就する。

乳のようなもの、密のようなもの、
きめこまやかな穀類のようなものが、
すべて結実し、碾けば粉になり                
(碾 ひ)
陰の中でもほのぐらく光ってうねり、
朝夕の大きな桶のふちまで
たぶたぶと重たく満ちる。

黄と、灰いろと、赤との、
すがすがしい自然の形象。
太陽のかたむく時、
空も野も瞬間の花やいだ無限になる。

そして人は行く者も帰る者も
永く此世を生き古りたように立ちどまって、
風に吹かれ、遠くの海や地平をながめ、
事物の帰趨や、鐘の響きの消長や、
夕日のなかの貧しい藁家の
偉大の意味を瞑想するのだ。

 

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夕の泉

 

君から飲む、
ほのぐらい山の泉よ、
こんこんと湧きこぼれて
滑らかな苔むす岩を洗うものよ。

在分な仕事の一日のあとで、
わたしは身をまげて荒い渇望の唇を君につける、
天心の深さを沈めた君の夕暮の水に、
その透徹した、甘美な、れいろうの水に、

君のさわやかな満溢と流動との上には
嵐のあとの青ざめた金色の平和がある。
神の休戦の夕べの旗が一すじ、
とおく薔薇いろの峯から峯へ流れている。

千百の予感が、日の終わりには
ことに君の胸を高まらせる。
その湧きあまる思想の歌をひびかせながら、
君は青みわたる夜の幽暗におのれを興える。

君から飲む、
あすの曙光をはらむ甘やかな夕べの泉よ。
その懐妊と分娩との豊かな性の脈動を
暗く涼しい苔に跪いて乾すようにわたしは飲む。

             
(ヘルマン・ヘッセに)


註 「旅と滞在」では「夕べの泉」となっている。また題の次の行にはドイツ語で、
   Hermann Hesse gewidmet とある。
   この詩の初出は昭和三年六月発行の「東方」。
    原題は「ヘルマン ヘッセを讀む夕暮」
   第一聯四行目は「滑らかな石階を洗うものよ」

 
  

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下 山


  
(武田久吉氏に贈る)

 

征服したというのか。
だが、こんにち以後、お前のどんな誇りの中に、
彼女が住むかを誰が知らない。

おののき打たれて、確かに愛する暇もなく、
わずか半時を佇んで忽ち下山は、
厖大な夢に追われたひた降りに降りつづける。       
(厖大 ぼうだい)

何か最も重大な一事の
果たされなかった気がするが、
その一事こそ、
生命を興えるほど愛する事ではなかったのか。

ああ、高く高く、夕日のなか、
彼女自身をさえ今はけだかく凌ぐように、
美しい山がどんな思いに昂然とするだろう。
どんなダゲールタイプのように消えるだろう。

(遠く、貧しく、人里の
ちいさい夜に下り立って、
心はホーマーの墓からの薔薇のようだ)

 

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山中地溝帯   

         (さんちゅうちこうたい)

 

ゆたかな秋がすべての峯々を黄に赤に照らしている。
陰はいちはやい冬の柴だが、
しずかにこぼれる朝の太陽の光をうけて、
今年最後の花は谷間の霜に倣っている。

わたしの見る古生層の山々よ、
渓谷に沿ってわたしの行く白堊紀層の路よ、
陸の斜面にかかる平和な村々よ、
今朝わたしはお前たちから優しく迎えられた客だ。

わたしは感謝する。だがお前たちの主人は
真にお前たちをたのしむほど幸福でいるか。
けだし彼らの苦痛を思わずに、それを免れるわれわれが、
彼らの土地の美をわたくしする事はできない。

わたしは悲しむ、われわれの自然への賛美の歌が
つねにまったく純粋ではあり得ない事を、
此の世の生活に不公正の存在するかぎり、
天地山水の均衡も時に大いなるまぼろしに過ぎない事を。

 

 

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甲斐の秋の夜

 

さわやかにひろびろとした一日が暮れて、
河原は扇状地に黒い風がさまよいはじめる。
周囲の山々が砦のように高くなり、
わずかにあかるい夕空の向こうへ
昼間の隣国が遠のいて行く。

盆地には、うすら寒い
しろい霧がとめどもなく流れて、
竜王や石和などという町が、         
(竜王 りゅうおう・石和 いさわ)
うかび上って寄添いたそうに、
甲府の方へまたたいている。

もっと遠い勝沼や韮崎は
自分で自分を照らしながら、付近の村々を
その明りで元気づけてやらなければなるまい。
こんな夜には葡萄がいよいよ甘くなり、
北方の山奥のさびしい谷間で
まだ埋まっている水晶たちが歌うだろう、
すべてがそれぞれ結ばれ合おうとする
甲斐の国の秋の夜をこめて。

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輪鋒菊

 

あのそよぎ立つ荒寥の比類なき美しさ!
夕立過ぎた青風に身を研ぎほそる八方の山々      
(青風 あおかぜ)
人は或る遙かなものを白峯北岳と呼び、
いとも遠いひとつのものを乗鞍と指さした。

火山高原のごろごろ岩をいろどって咲け輪鋒菊。     (輪鋒菊 りんぽうぎく)
ああ遂にわれわれが沈黙した五千尺の曠野で
やがて来る白い秋雨にちりぢりには砕けるとも、
その淡い紫を岩が根に染めつけて死ね輪鋒菊。

 

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猪 茸

 

上州利根郡の山奥から、
わづか一枚寫眞の禮にと               
古い菓子箱へ詰めてよこした小包の猪茸        
(猪茸 ししたけ)
武蔵野は鷺がとぶ秋晴の晝の茶漬に、         
(晝  昼)
噛みしめよ、その心づくし、猪茸の味。

たくましく、革めいて、
密林の、野獣の、苔のにほひ、
又あの人々の生活のやうに鹹い、
(鹹 しおはゆ)
附焼くの革茸の猪茸の味。              
(革茸 かわたけ)

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野辺山ノ原

今はむかし六年のむかし、                  (六年 むとせ)
山々の秋のさかりに、
八ガ岳その高原を
日を一日われは歩みき。                  
(一日 ひとひ)

見はるかす甲斐や信濃の
高山の飽かぬながめや                  
(高山 たかやま)
秋草の波の秀に出る                 
(秀 ほ  出る いずる)
八ガ岳つねに仰ぎつ。

井出ガ原、念場ガ原と、
わがすぎて野辺山ノ原、
いつしか夕日のながれ、
白樺の林染めつつ。

海ノ口、今宵のとまり、
さはあれど道の幾すじ
いずれとも定めかねては、
とつおいつ、旅人われの。

おりからや、若者二人
自転車をつらねて過ぎぬ、
呼びとめてきけばこまごま
教えてぞ走りて去るぬ。

四五町もわれは行きけん、
ふと見ればさきの若者、
道のべに自転車立てて
語りつつわれを待つなり。

わがためになおよく道を
教えんと待てるなりけり。
あたたかき人のなさけぞ!
わすれめや、野辺山ノ原、
甲斐信濃、国のさかいの野辺山ノ原。

 

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美ガ原熔岩台地

登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばらくは世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本源的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。          
(桁が外 けたがはずれ)

秋の雲の砲煙がどんどん上げて、
空は青と白との眼もさめるだんだら。
物見石の準平原から和田峠のほうへ
一羽の鷲が流れ矢のように落ちて行った。

 

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秋の流域

      (我が娘、栄子に)

 

二日の雨がなごりなく上がって、
けさは天地のあいだに新しい風がながれている。
暖かい道のうえの小石をごらん、
これは石英閃緑岩というのだ。
こんな石にさえそれぞれ好もしい名がつけられ、
一つ一つが日に照らされ、風に吹かれて、
きょうの爽やかな、昔のような朝を、
何か優しい思い出にで耽っているように
みんな薄青い涼しい影をやどしている。

葡萄畠のあいだから川が見えてきた。
風景の中に自然の水の見えて来るときの
深い心の喜びをお前がいつでも忘れないように!
だが銀の絲のもつれたように流れる川の両岸には、
平地といわず、丘といわず、
この土地の人々の頼もしい生活と
画のような耕作地とがひろがっている。
そうしてこの美しいひろびろとした流域の向こうには
同じ日本の空があり、秋があり、
其処で営まれているまた別のたくさんのたくさんの生活がある‥‥‥

 

 

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樅の樹の歌

O Tannenbaum, O Tannenbaum
wie treu sind deine B歛tter !

 

私はやはり自分が
なおもっと充分若かったらばと思う。

そうしたら私は滑るだろう、
冬に、北方の高原地方で、
新しい粉雪に被われた広い、深い、樅の林を、
一日じゅう、一人で。
だが、仲間が厭だというのでない

若くて、若さのために眩ゆいほどで、
仲間への愛や協同の念に燃えて、
それでいて孤独の味を知っているという事は、
たしかに美しく、男らしい。

私はやがて雪と夕日との高原の林を
遙か人里のほうへ滑って来るだろう。
私は湧き上がる紫の暮色のなかで
悔いもない純潔な自分に満足するだろう。
私は試練と冒険とに待たれている
自分の未来にほほえむだろう。

その時私は歌うだろう、
青春の我が身をたたえるように、
頼もしい、真実な樅の樹の歌を!

私は、時々、やはり自分が
なおもっと充分若かったらばと思う。
しかしそれとは違う事で、今日、
更に多くをできるかも知れない。

 

 

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御所平

一里むこうの大深山はまだ華やかな夕日だが、        (大深山 おおみやま)
山蔭はもうさむざむとたそがれた御所平。

四つ割の薪を腰に巻いて
注連縄張った門松に雪がちらつく御所平。           
(注連縄 しめなわ)

海ノ口への最後のバスが
ラッパ鳴らして空で出ていった御所平。

腕組みしておれを眺める往来の子供たちが
みんな小さい大人のようだった御所平。

楢丸一俵十八銭の手どりと聞いて、              (楢丸 ならまる)
ご大層なルックサックが恥ずかしかった御所平。

それでも東京の正月を棒にふって
よくも来なすったと迎えてくれた御所平。

ああ、こころざしの「千曲錦」の燗ばかりかは、        (燗 かん)
寒くても暖かだった信州川上の御所平‥‥‥

そのなつかしい御所平を、
あじきない東京の
夜の銀座でぼんやり想う。

 

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山麓の町

 

田舎町の小さな停車場を出ると、
往来の向こうにずらりと、
口元秩父の連山の壁だ。
武甲山の鉄兜にはまだ朝のさわやかな影がある。
鳥首の頭がほんのり薔薇いろに染まっている。
日を浴びた笠山は
あおあおとした天に吸わせる巨大な乳房だ。

岩石学的で地質学的な町、
朝の山々を背負った此の明潔な町では、
物の釣り合いがすべて小さく見え、
存在が無機物のようにかっちりしている。
空気でさえ切れば切れそうだ。
そよふく風にも稜がある。                   
(稜 かど)
山の硬度を誰がはかる。
荒い石榴石色の、くすんだ辰砂色の
山のあの露出部、
あれが風のつけた擦痕だ。

今朝がまるで学生時代を想わせるから、
この見知らぬ町が実に純に、実に平和に
その小さい生活を楽んで始めているから、
軒下の流れで朝の食器を洗っている一人の娘に、
五万分の一の地図をひろげて、
人間同志の心安さで僕は路を相談する。
娘はスペクトルの滴る両手をエプロンで拭いた。

それから帽子をかぶり直し、
ルックサックの留金をもう一孔つめて、          
 (一孔 ひとあな)
柄長の群れる爪先上りの町はずれから、            
(柄長 えなが)
たちまち風が歌う祝別の歌に包まれながら、
あの山々の中に燦然と砕かれた自分を見出そうと、
僕は行く。

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志賀高原

 

小屋の裾まわりだけよごれて痩せた積雪を
つららの雫が精出して掘りくぼめている。
生活への帰順か礼賛かのように
細い煙突から琥珀いろの煙がむくむく上る。
冴えた青空にはまばゆい雪、
太陽はそこらじゅうで樹々の重荷を崩している。
ときどきぱっと飛び立って、
光にかすむぶなの小枝のデッサンに
鮮やかな玉と凝る花鶏、日雀の小鳥のむれ。       
 (花鶏 アトリ・日雀 ヒガラ)
輪かんじきに厚い雪を踏みしめながら、
行けば行くほど奥へ奥へと紫になる林の中で、
決然と生活の転機に想い至った私だったが‥‥‥

此の世のほだし解くに由なく、
今宵旧套の煖炉の前に頭を垂れ、手を組んで、
世にも無雑で玲瓏なあの世界を
ただ永遠の憧れとして遠く空しく心に描く。

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信州追分

 

傍本陣の油屋が焼けたそうだ。
よく夏の日ざかりに、あの開け放しの、
何もかも黒光りのする涼しい広間で、
逗留の学生たちが膳をならべて食事をしているのが、
前を走る中仙道から見通しに見えたものだったが。
それに本陣の亮一さんも死んでしまった。
蝉時雨の降るような、緑もくらいあの病室で、
家運挽回の希望だの牧水の話だのを聴いていると、
遠く信越本線が睡くなるような旅の轣轆を歌って過ぎたものだったが‥‥‥
 (轣轆 れきろく)
こうして懐かしい追分もだんだん俺から離れて行く。


註 「旅と滞在 増補版」では「追分宿」

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シュプール

 

遠い目的地への到達の道で、
現実のえがく逞しい線が、
たえず大きく、生気にみちて湾曲する。
時空をとおして熱烈な眼が投げる
理想の最大傾斜を
ひろびろと右に左に巻ながら、
見まもりながら、
羊腸をえがいてそれは進む。

その一廻転を完成する各瞬間の運動を、
子細に吟味解剖するとき、
必然の理法へのなんという賢い服従を、
惨澹として現実を犂く複雑精緻な経営の           
(惨澹 さんたん・犂く すく)
なんという光景を、
なんという切磋琢磨の痕を見ることだろう!

たそがれる、靄のたちこめる
幽暗な、平和な樅の森林。
そのむこうに人類窮極の
一大炉辺を築くことは知っている。
しかし相次いで前途を扼す無数の難関。           
(扼す やくす)
右への反動の惰性をおさえ、
左への踏みはずしを警戒しながら、
人類の壮烈な推進をえがく
この制動回転
(シュテムボーゲン)の鑿々の痕の美しさ!        (鑿々 さくさく)

 

 

 

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シュナイダー

 

オーストリアの山奥から呼び出されてまっすぐに、
まだ見たこともない極東の日本へやって来た。
ナラの、キョートの、ニッコーのと、
弗臭いアメリカ観光客の旅ではない。               
(弗 ドル)
剛健なアールベルクのスキー術を
わかい日本の学生大衆に教えに来たのだ。

だがシュナイダーでもやっぱり人間だ、
異国の雪の高原の夜はそぞろ寂しく、
ぽつねんとともる豆ランプを前に、
サン・アントンの炉辺の事がしきりに想われて、
シガレット・ケイスへ貼った愛児の写真をじっと眺めた。
やがてぶらりと合宿へ姿を現して
賑やかな学生の仲間へ加わったが、
ふと頭の上を見上げた拍子に、
「天井から空が見えますね」と。
爽やかなドイツ語が口をついた。

だがひとたび山々の処女雪が真赤な朝日に照りはえれば、
ゆうべの憂鬱は跡方もなくけしとんだしまい、
さばさばと生まれ変わったシーロイファー・シュナイダーが
ああ、滑るよ、滑るよ、
飛ぶよ、飛ぶよ!
ゲレンデ狭し、世界も狭しと髪ふりみだし、
銀盤にえがき、青空を引掴んで、
飛鳥のように舞い上がり、舞い下る!

 

 

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凍 死

吹雪はわずかな岩の割れ目をひしひしと囲む。
他界のような酷寒の空気に
肌はぴりぴり燃えて裂けるようだ。

今夜何十の樅の若木が立ちながらしぬか、
今夜何百の小鳥の魂が積雪の底に埋もれるか。
いま黎明はどんな南の
どんな楽園のような海べを照らしているか。
めぐって来る千年後の朝を手をつかねて待つことは辛い。

凍死に先だつ恍惚とした麻痺の中で、
人は運命の吹雪の音を聴きながら、
やがては帰る母のふところを思ってうっとりする。

 

 

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夏山思慕

夏の香する三千メートル雲表のそよかぜ。
ざくざくの砂礫へ杖を立てて、
白山一夏の花の間へルックサックを横たえた。      
(白山一夏 ハクサンイチゲ)
登攀にとどろいた心臓が漸くにして鎮まると、
おもむろに湧き上がって来た深いよろこび。
だがあまりに人の世を懸絶した幸福の感情には、
何か知らぬが一抹の悲哀と空しさとがあった。

然しその空しさを次第に埋め去るかのように、
きらきらと残雪を象嵌した日本中部山岳の           
 (象嵌 ぞうがん)
逞しく皎々たる現実の夏すがた。
這松はすべての斜面に力づよい緑をなすりつけ、
どこか近くで岩雲雀の金鈴の声、
強い紫外線と烈しい低温とに鍛えられた
かれら高山の花の緊張の形と色。

ああ、いま武蔵野に初冬の光はながれ、
すべての路に落葉の音のしきりなる時、
別れ来たあの夏の日の山々をかえりみれば、
其処に残した我が一つ二つの足痕も
すでに新たなる雪に消された夢かと思う。

 

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連峯雲

 

大日本秋津島根は おほやまとあきつしまねは
とこしえへの亜細亜の護、          
とこしえへあじあのまもり
東の洋の鎭と                
ひんがしのうみのしずめと
結建てし神の瑞垣、             
ゆいたてしかみのみずがき
垣なれや連なる峯を             
かきなれやつらなるみねを
注連なしてめぐる白雲。           
しめなしてめぐるしらくも

飛騨、信濃、國の眞中に           ひだ、しなの、くにのまなかに
劍太刀秀に出る峯を、            
つるぎだちほにいづるみねを
男兒らが心磨くと              
をのこたがこゝろみがくと
巌つかみ攀ぢし山山。            
いはつかみよぢしやまやま
夏になれば大空燃えて、           
なつになればおほぞらもえて
群立つや雲の八重垣。            
むらだつやくものやえがき

春来れば秩父、赤石、            はるくればちゝぶ、あかいし
甲斐が根に木曾山清し。           
かひがねにきそやまきよし
また秋は神の高千穂、            
またあきはかみのたかちほ
大阿蘇の牧の高原、             
おほあそのまきのたかはら
御代なれや豊旗雲の             
みよなれやとよはたぐもの
彩なして妙になびけり。           
あやなしてたへになびけり       

注連なしてめぐり棚曳き           しめなしてめぐりたなびき
花のごと輝く雲も、             
はなのごとかヾやうくもも
時あらば國の怒と              
ときあらばくにのいかりと
いかづちの猛る荒神、            
いかづちのたけるあらがみ
東の洋より立ちて              
ひんがしのうみよりたちて
天翔けり撃たん醜草。            
あまがけりうたんしこくさ

 

註 昭和十七年新年御題「連峯雲」に因める作詩にして、前年十一月に成り、山田耕筰の作曲あり。

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登山服

 

ひととせ我にゆとりありければ妻子がため      (妻子 つまこ)
登山服と靴と背嚢とを作り興へぬ。         
(背嚢 はいのう リュックサック)
服はわが指圖して着ごこちよく
いくとせを綻びぬやう正しく縫はせ、
靴には岩をも噛まん堅き鋲
みづから選び打たせけり。

かくてこれを着、これを穿ちて、
みすずから信濃國原、
八重垣八雲立ち湧く夏のさかりを、
その夫、その父親に伴はれ、
彼等初めてぞ踏む槍、燕のいただきに、        
(燕 つばくろ)
わが悦び、わが感動を分ちぬるこそ哀れなれ。
これぞこれ、繪にのみ見てし千島桔梗よ、       
(千島桔梗 チシマギキョウ)
白馬と名のみ聞きしはかの山かと、          
(白馬 しろうま)
右左より呼びかつ問ふぞいとしけれ。

やがて四とせをつづくたたかひに
山踏むことの無くなりれ、
淙々の谷の流も、雲の上なる山頂も、
ながく我等を遠ざかりぬ。
又このたびの新たなる大いくさに、
世は轉じ、心も移り、                   
(轉 転)
筐底のかのたしなみの登山服、
今ははや、まさかの時にこれを着て、
水かづき、火をくぐるとも惜みなく
おのれらが組内まもる防空服となり了りぬ。         
(組内 くみうち)
いくとせを裂け綻びぬもの、役立ちぬ。
さはれ、街角の監視の哨に立ちながら、
青空を遙かに浮かぶ巻雲に                 
(巻雲 けんうん)
かの楽しかりにし山々と其の事ごとを
はしなくも思ひいでぬと、
たまゆらの遠きまなざし、
ひそやかに我に告ぐるぞ是非もなき。

 

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