続けかしの歌
(古い妻に)
彼女がいつも健かだということ、
足る事を知って、頼もしく、
つねに明るく家事に働いているために
何か遠くでいい音のする秋の日のようだということ、
それが齢を重ねてもなお仕事を
毎日の務めとしている私には強い支えだ。
二十年も昔に貰った信州の田舎の菊を
贈り主のこころ同様大切に護り咲かせて
今他人にも根分けして共に喜ぶ晴れやかな真情、
遠い学校へ通う孫たちのために
夜更けまでなにかと用意をしてやりながら
朝は早くも日の出のような顔のまばゆさ。
道の上の霜がきらきらと溶け
どこかで頬白が歌っている冬の午前、
今日もまた命あって机に向かえば
静かに運ばれる一椀のコーヒー、
私はそのうしろ姿と昔ながらの誠実に
ちらと視線をやって心の手を振る。
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鈴
私の書斎の下の部屋では、
孫の高校生が試験準備の勉強をしている。
英語か、数学か、それとも物理か、
難問が一題解けるたびに
彼はチリン、チリンと小さく、きれいに、
ピレネーの麓、リューズの村の
牧場の羊の鈴を振る。
やがて二時間、三時間、
その銀いろの音の重なりが
彼と私とに勤学のしらべとなった頃、
今度は下の食堂からカラン、カランと
女たちの振る昼飯の知らせ
スイス・ツェルマットの牝牛の鈴が鳴りいだす。
だがちょっと待ってくれ。
私は今いちばん面倒な一行の思案に
あいにく煙草を一本つけたところだ。
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ヴィヴァルディ
どういう拍子か急にあなたが聴きたくなって、
それもあの独特に輝かしくて生き生きとした
いさぎよい弦のしらべが聴きたくなって、
「四季」なり何なり合奏協奏曲の
明るくきらびやかなのに針を載せる一時は、
私にとって一天瑠璃色に晴れわたった
春の日曜日の朝のようだ。
こんな時には頭も心も
明けっぱなしで自由自在だから
人の苦心の解説には元より
あなた自身の標題にもとらわれない。
ただ柔らかな椅子に楽々とすわって、
山のむこうの空を見たり雲を眺めたり、
それをあなたの弦やオーボエの歌で染めたりしている。
それでいいのだ、
そしてそれがあなたの音楽の魅力だ。
天然のように悠々として、伸びやかで、
誰でも容れて、楽しませて、
しかも去る者を追おうとは決してしない。
そこでそういうあなたを急に、たまらなく、
聴きたくなる事が詩人私にも時々ある。
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『諸国の人々』
(レ・ナション)
あまり穏やかな小春日和なので、
買ったまま未だよく聴いていない大クープランの
ヴェルサイユ音楽のレコードを掛けようとする。
すると、いや待て、
そんな料簡ではいけないのだと、
自分のうちのもう一人の自分が
きびしい仕事の世界へと強く私を引きもどす。
私は卒然と覚めて、諦めて、
これが終生の物となるかも知れぬ
机上の困難な仕事の続きへと立ちかえる。
さらば優雅なきらびやかな『諸国の人々』よ、
いつか私になお幾らかの寛濶な日が来る時まで
その美々しく装われた箱の中に
お前たちのルイ王朝や地中海的な豪壮と歓楽の
昔の夢を秘めて置いてくれ、待っててくれ!
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勉学篇
親に多くの費えをかけさせまいと
アルバイトで買い集めた厚い重たい原書の幾冊、
中世・ルネサンス・バロックの音楽史、
「音楽学序論」と「音楽は何によって生きるか」、
リーズ、ブコフツァー、ヘイドン、ジルバーマン。
「月の沙漠」で寝かせてやったあの子供はどこへ行った?
山登りに踵を支えてやったあの小娘はどこへ行った?
早くも一本立ちで進む世代よ、
独力で峻険を攀じる手足よ!
そこでこの祖父も空虚に悠然と構えてはいられない。
辞書を相手の手もとの書物、
「詩の構成における信念の告白と抒情」。
疑義の個所には印しをつけて、おりを見て、
ドイツ語の先輩に教えも乞うのだ。
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バッハの『復活祭オラトリオ』から
”Saget.Saget mir
geschwinde ‥‥‥”
オーボエ・ダモーレに合わせて飛び出す急調の
「言ってください。早く私に言ってください、
この魂の慕い愛するエス様に
どこでお逢いできるかを!」
ほんとうに人を奮い立たせるアルトの歌だ。
私だって二千年の昔を生きて
もしもこの足が蹇えていたら、 (蹇えて なえて)
膝で躄っても彼女に続いたに違いない。 (躄って いざって)
これはもう単なる美しいアリアではない。
しんから信仰ふかい女の力強い急迫の叫びだ。
どだいソーファによりかかって煙草などを吸いながら
のんきに聴いていられるような音楽ではないのだ。
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二つの現実
どうしたものか隣席の若い女性が
あたりに気を兼ねながら又しても苦しげに咳きこみ始める。
ベートーヴェンの大曲『荘厳ミサ』は
満員の聴衆の上を海流のようにうねり進む。
私は持ち合わせの薬を女に与えて
暗がりの中でその背を摩りながら聴いている。
「サンクトゥス」に続いて直ぐに「ベネディクトゥス」、
そしてもう始まった輝かしい独奏ヴァイオリンの
天を翔けるようなあの神々しい長い楽句。
私は見知らぬ女性の背中に手を当てたまま、
つづく「神の小羊」まで、
人間一人の苦しみと万人の法悦という
この二つの現実を懸命に一つのものに練り上げていた、
鍛えていた。
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讃 称
三方から囲むいくた緑の丘陵と
南にひろびろと輝く海とを持つ
歴史も古い静かな都の
ひっそりとした谷戸の一つに君は住む。
そこは君のふるさと、六十年の君の土地、
君の足はその到るところを踏み味わい、
眼はその悉くを暗じるほどに知り、
しかも生活そのものは禅庵でのそれを想わせる。
君に近く住む者は安んじて君を思い、
その学殖から常に貴重な何かを分たれる。
そして遠く住む者もまた敬い慕って、
遙かに古都の谷間に君を訪う。
君の魂は生れながらにして甘美、寛容、
しかしその精神は永い鍛練を経て強靭だ。
そういう君の生き方によく接する者は
人間の心の自由の尊さを身をもって学び知る。
君は風のように飄々として街や山を行き、
日光のように暖かく立ちたたずむ。
君の挙措は常にまったく自然をきわめ、
そのため世の中は往々にして只人として君を視る。
しかし私の重んじるのは正にそうした君なのだ、
只人として遇せられ、途上の者として見過ごされ、
しかも温和な心と強い精神と深い学識とを
内に蔵して最も人間らしい人間であるその君をこそ。
(富士川英郎君の還暦の祝いに)
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エリュアール
(仮空の真実として、山崎栄治君に)
或る日突然エリュアールの訪問をうけた。
その詩集の翻訳者である友人の紹介で。
彼は旧知のように私に近づき、
人間のただびととして私の手を握った。
エリュアールは私の書棚をぐるりと見渡した、
ランボー、ロートレアモン、アポリネール、ブルトン、
ジード、ヴァレリー、ヴィルドラックにまじって
自分の著書のあるのにつつましく微笑しながら。
彼はおのれの過去について語らなかった、
私がそれを知っていることを知っていたから。
彼は現在を語らなかった、
私と共に太陽の下のそれを見ていたから。
だがその澄んだ美しい眼は言っていた、
詩は人生と世界、夢と愛との所産であり、
人生に奉仕する実用品であり
人類を集合させるために戦いをやめないものだと。
彼は機嫌よく帰って行ったが、
私の心に残った快い感銘は、
愛にも、知恵にも、知識にも
経験にもぎっしり詰まったくだもののような、
無限に美味で、身になって、頼もしい
われらの同僚、厳とした人間仲間、
ポール・エリュアールそのものの真面目だった。
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浄土平
(以下の二篇と共に鴨志田キヨミさんに)
ここは国立公園磐梯・吾妻のスカイライン。
ドライヴ・インで盛蕎麦を食って、
海抜一千七百メートル浄土平の
草山の草を枕に寝ころんでいる。
岩代の山の視界はからりと晴れて風もなく、
底知れない静けさにうつらうつらしていると、
聴こえて来るのはただホオアカやノビタキの
この世を遠い歌ばかり。
もうじき車にエンジンが掛かれば、
東吾妻にも駱駝山にも一切経にも
硫黄平の硫黄の香にもおさらばをして、
福島から松川、安達、二本松と、
夏霞む高村智恵子ゆかりの地を
今宵の泊り、岳温泉まで飛ばすのだ。
ああそれまでの浄土平の空と草、
浄土のようなこの別天地に、
案内の連れよ、妻よ、
僕はもう少しの間うとうととしていたい。
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その空の下で
安達太良山もここから先は足で登るか、
ガラガラ廻っている味気ないあのリフトで
吊り上げられて行くかするよりほかはない。
山麓をいろどる落葉松の新緑、遠い郭公、
峰の高みに真白な残雪の帯、
そして頭の上は、見よ、この空だ。
おばさまが言ったという「智恵子のほんとの空」、
東京ならぬみちのくの空が、
「あどけない話」どころか真底女人の
思い入ったまじめさで、少し悲しく、
深く青々とひろがっている。
私はこの空を今は亡い人のその昔の郷愁と
同じ思いでしみじみと見上げる。
足もとには猩々袴か燕オモトか
つやつや光る強い緑の芽がぎっしり。
これもあのかたの故郷の山の草だと思えば、
踏むどころか、記念に一株掘るどころか、
気をつけて、丁寧に、
跨いで、
行く。
(妻に代わりて)
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春 愁
高村智恵子ふるさとの丘、
みちのくは安達ガ原の二本松、
丘の頂きに私は立ってる。
あたりをめぐる赤松や
杉、楢、櫟に吹き添う風が、
私を迎える亡きあの人の
今ぞ親しい挨拶のようだ。
あまりに純な性ゆえに
この世の荒さ醜さに耐えかねて
美しく狂って逝ったその人を、
哀れと思い愛しいと思う私の心に
今この山風のもたらす春愁。
阿武隈の水の光は見えないが、
残雪をまとった安達太良山は
匂やかな霞の奥によこたわり、
光太郎詩碑の女夫岩に背をもたせば、
躑躅が燃え、藤波ゆらぐ麓から
黒つぐみの吹くフルートの
愛慕の歌がしきりに響く。
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命あって
命あって今年もまた
あの上高地へ私は行く。
明神、前穂、奥穂、西穂と
ずらり穂高の連峯を眼前にした
世にも壮麗で男らしい谷間へ行くのだ。
白樺や化粧柳の若葉の雲、
オオルリ、コルリ、ヒガラの歌、
原生林の奥に響くコマドリの声、
六月の琴掻き鳴らす梓川の流れの岸には
タガソデソウ、ミヤマタンポポ、エゾムラサキ、
小梨平に小梨の花もちらほらだろう。
山や、谷や、小鳥や、花や、
古いなじみ、長いつきあいの誰彼が
みんな同じ思いで待っている。
その上高地へ心勇んで私は行くのだ、
命あって今年もまた。
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黄道光
「波と鐘」、「前世」、「ローズモンドの館」、
愛するアンリ・デュパルクよ、
かつて私の若い胸を躍らせた三つの歌、
君が此の世に遺して行った傑作の三つが今終った。
それらの歌は私の青春の一時期と絡み合い、
今も古い多彩な追憶を呼びいだす。
悲恋と、愛と、絶望と、奮起、
憤りと、歎きと、喜びの思い出を蘇らせる。
私はそこから記憶の断片をとりあつめて、
夢のようだった七十幾年の生涯のうちの
色も豊かな一枚の強靭な布を織り上げる。
愛するデュパルクよ、君の雄々しい歌が今終わった。
そして早春の夕映えも谷間の家の窓に消え、
私の余生の西空になごりの黄道光がほのかに明るい。
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トンボの谷
(伊藤海彦夫妻に)
左右の崖が更にせばまり
細かった道が今は一層細くなる。
これからはいよいよ尾根までの登り。
藪かげの水の響きがひときわせわしい。
ところが昔の山の田圃の跡だろうか、
行く手にささやかな平地が開けて、
イグサやアゼスゲ、シラスゲの類が
湿った土に涼しく茂って立っている。
私達が透明な褐色の羽根に薄赤い紋のある
緑に輝く美しいミヤマカワトンボを見つけて
声をひそめて指さし教え合ったのは、
水辺にスイカヅラの咲き匂っている其処だった。
なおよく見ればトラフトンボもショウジョウトンボも
みごとなモノサシイトトンボもいた。
いずれも今となってはもう此の歴史的な古都でさえ
容易には見られない種類だった。
私達はにわかに急峻になる細みちを攀じ、
ついに広い味気ない造成地を見おろす尾根に立ったが、
心にはいつまでもあの自然の神の創造物である
可憐なトンボ達の姿とその生地の谷とがあった。
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詩「無常」の作者に
今日は今から八年まえ
あなたが此の世を去った日だ、
スイス国テッシン州モンタニョーラの
もうどこやら秋の気配の感じられる
しかしまだ山も湖も村々の眺めも
晴れやかに美々しく輝いている夏の日に。
八十五年のあなたの長い生涯は
その精神や行動の妥協を知らぬ自由さで
遠いとつくにの若者私の心を捉え励まし、
人はその命のふるさとからの原型を
内心の要求に従ってみごと造型してゆくために、
おのれ自身に極力忠実でなければならないと教えた。
そのあなたを喜ばせたスイスの夏の風光が
秋めく朝をあなたの眼から永久
に消えた八年後の同じ今日、
たとえ私の庭に山百合が薫り、夾竹桃が燃え、
蝉たちの合唱が谷間の空を満たしていても、
それも忽ち無常の風に運ばれる輪廻の理法のきびしさを
今改めてあなたは私に思い起こさせるのだ。
(一九七0年八月九日)
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過去と現在
若いころ口にしたあのシューベルトやシューマンの歌が
彼らの愛の喜びや愛の悩みの切実なしらべで
なんと私を酔わせ、恍惚とさせ、
なんと無思慮で盲目的な
いくつの恋愛に私を燃えさせた事だろう。
若いころ打ちこんだベルリオーズやワーグナーの
あの「幻想」や「ワルキューレ」の壮大な音楽が
なんと私を熱狂させ、煽り立て、
なんと身の程知らぬ倨傲さや
空疎な英雄主義へと走らせた事だろう。
しかしそれは全く彼らのあずかり知らぬこと、
すべては若年の私の浅薄な
受容の仕方にほかならなかったのだ。
いま老いに目ざめて静かに耳を傾ければ、
なんと彼らの芸術がそれぞれの美や真実で
この魂を飾り清めてくれる事だろう!
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安らぎと広がりの中で
見上げる乗鞍の稜線とそのくぼみには
まだ残雪の銀の象嵌が光っているが、
柔らかな緑の起伏のいたるところに
赤や紫のつつじが燃え、小梨の花が盛りのここは、
安らぎと静けさそのものの初夏の高地牧場だ。
向うの森に響く黒つぐみや赤はらの歌も、
近くの薮や草原のあおじ、のびたき、びんずいの声も、
かえって此の風景の広がりに一層の深みを添え、
おびただしい鈴蘭も流れに近いしもつけそうも、
この天地の豊満な美に寄与している。
読むつもりで持って来た詩集も開かず、
カメラも使わず、望遠鏡も手に取らず、
ただ小鳥の歌や、広袤を彩る草木の花や、
折から頭上の青空を緩やかによぎる
高い白い雲の消長に身と心とを与えるばかり。
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沈みゆく星に寄せて
窓からの眺めを夜に変えて
天文学的薄明もついに終わった。
正面の暗い杉山の頂きをすれすれに
巨大な黄玉のような木星が傾きかかり、
西の空低く金星が爛々と
今宵の別れに輝いている。
八月も終りに近い夏の夜の
この星々が送る美しい告別を私は愛する。
太陽が沈み、暑熱が去り、
南の風がそよそよと北に変わって、
世界が夜の休戦と平和に移る時の
この最初の告知の光を私は喜ぶ。
しかし私は知らない、いかなる明日が自分に来るかを。
そして人間の運命の星の動きは
どんな天界図にも載っていず、
どんな暦からも予測されない。
しかしただ私は知っている、自分の星が
この空の奥底へとやがて永久に消え沈むのを。